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<title>東京発高山行</title>
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<description>身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 飛騨の魂東京（のほう）から見た飛騨って、どうよ？をメインに、意外に飛騨の人は気がつかない、知らないような事をこちらで発信してみようかな・・と思います。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Sun, 09 Mar 2008 13:54:07 +0900</pubDate>
<lastBuildDate>Tue, 11 Nov 2008 19:34:23 +0900</lastBuildDate>
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<title>オークヴィレッジＸNECＸAllabout</title>
<description>オークヴィレッジ製のＰＣデスクですか、いいなぁ～お値段はそれなりみたいですが(^^;;;　でもミズナラ無垢材ですからね。　NECは、オールアバウトのWebサイトで集めた約5000件の意見をもとに独自の木製パソコン用デスクを商品化した。両社の直販サイトNEC Directと「All About スタイルストア」で販売する。直販価格はデスクが9万9750円、オプションのプリンタ用ラック（シェルフ）が4万4100円、いすが5万2500円。　オールアバウトが2―3月と4―5月の2回、パソコン周りの不満をアンケート調査した結果、合計5000件の回答のうちケーブル類の煩雑さに関する不満が45％を占めた。続いて室内インテリアとの不釣り合い感が16％、プリンタの収納が14％となった。　NEはこれを踏まえ、岐阜県飛騨高山のオーダー家具工房オークヴィレッジと協力してパソコン用デスクを商品化した。デスク上板の裏に取り外しできる収納ラックを設け、ケーブル類や電源をまとめて置けるようにした。デスクの下にケーブルがたまらず、ほこりが集まりにくいという。　素材は耐久性が高く木目の落ち着いたむくのミズナラとし、くぎなどの金具を使わず組み立てた。デスクには天板を反らせないために桟を設ける「蟻桟（ありざん）」、プリンタ用ラックには木枠へ板をはめこむ「框組み（かまちぐみ）」といった日本の伝統工法を採用している。デスクの寸法は幅80cm、奥行き56.5cm、高さ70cm。寺社の建築に使われる比率「大和比」にそろえ、一般的な市販パソコン用デスクよりやや大きくした。プリンタ用ラックは幅 40cm、奥行き56.5cm、高さ70.2cm。いすは幅47cm、奥行き45cm、高さ71cm。 日経トレンディ　11月28日記事より</description>
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<category>TV・新聞・雑誌などから</category>
<pubDate>Mon, 01 Dec 2008 13:46:02 +0900</pubDate>

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<title>11月下旬、晴れた日の夕方に。</title>
<description>以前、ボウリング場が営業している頃・・・今頃の季節、晴れた日の夕方4時頃に、この場所へ登って行った事があります。ここからは乗鞍岳が真正面に見えます。西の山に陽が落ちていく時間帯、雪を冠した王冠のような乗鞍岳の姿が、純白から次第に赤みがかった黄金色に染められていきます。眼下の高山の市街地に陽の光が届かなくなるとやがて山とは思えないピンク色に染まり、それが次第に濃くなっていく様を、何度眺めたことか。そして、３０００ｍの頂にも日没が迫る頃、次第にそのピンク色は色を失い始め、徐々にグレイの世界へと沈んでいきます。天空でほんのひと時行われる、神々のペイント。しかしこれで終わりなのではありません。満月の時には、それから昇ってくる月が替わりに嶺を照らし出します。市街地の夜景の上に、月光を浴びて再び銀白色に輝きだす乗鞍岳。そして朝。高山盆地には朝霧がかかる事が多いのですが、霧の無い日には春から夏にかけて、この乗鞍岳から昇る日の出を見ることも出来ます。なんとも贅沢な景色を、手軽に（駐車場まで自動車で行けたので、誰でも連れて行けた）堪能できる場所でした。公園になっても、警備上の問題はあるのかもしれませんがなんとか夜間立ち入り完全禁止には、しないで欲しいなぁ・・・高山の旧ボウリング場跡地を公園に　高山市は２７日、２００６年に取得した同市上岡本町の旧ボウリング場「パークボウル」跡地を公園として整備する計画を明らかにした。来年１月に着工し、７月末の利用開始を目指す。　敷地のうち平らな部分の１・１ヘクタールに芝生と周遊路、トイレ、展望デッキなどを設ける。周囲の斜面なども合わせた敷地全体は３・４ヘクタールで、合併前の旧市域では城山公園、中山公園、原山市民公園に次ぐ大きさ。芝生の広場がある公園としては最大となる。　整備費は約１億円。公園の名称は新年度に公募する。　跡地は市中心部や北アルプスを一望できる高台にある。旧ボウリング場の建物が廃虚になって防犯上の不安があったほか、市街地からもよく見えることから、景観の悪化を招くような民間の開発も懸念されていた。　このため市は「景観と里山の保全」を目的に跡地購入を計画。０６年末、岐阜地裁高山支部による競売で１億５０００万円で落札した。　昨年１月の市議会で正式に取得が決まった。現在は解体工事が終わり、更地になっている。2008年11月28日　中日新聞　(画像もこの記事のものを使わせて頂きました）地図はこちら</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Sat, 29 Nov 2008 14:39:07 +0900</pubDate>

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<title>東へ西へ？</title>
<description>長野県の前知事時代は、（嫌いじゃなかったんですが）まったくと言っていいほど進まなかったのが松本から高山を径由して福井に至る「中部縦貫自動車道」の長野県側。東京から高山に帰るときは、あの158号線奈川渡あたりの道路はいつも緊張を強いられます。大型バス同士がすれ違えないような長いトンネルが、まだいくつか残ってるしそれにダムの横の道はアップダウンのあるカーブだらけの、まさに「峠道」。こういうところにこそ、高規格道路を早く通してほしいものですが・・・少しは動き始めているみたいですね。国土交通大臣がおなじみの方になって、好都合？高山国道事務所　松本国道事務所　中部縦貫自動車道の建設促進を要望　長野県知事ら　長野県の村井仁知事と松本市の菅谷昭市長、岐阜県高山市の土野守市長は１９日、金子一義・国土交通大臣を訪ね、中部縦貫自動車道の建設促進を求める要望書を提出した。　同自動車道は、松本市を起点とし、高山市を経由して東海北陸自動車道に接続、福井市に至る総延長約１５５キロの高規格幹線道路。平成９年には松本市と高山市をつなぐ安房トンネルが開通。１６年には飛騨清見インターチェンジ（ＩＣ）－高山西ＩＣ」、昨年９月に「高山西ＩＣ－高山ＩＣ」が開通するなど事業が進められている。　要望書では、災害時の緊急輸送など中部縦貫自動車道の果たす役割を確認したうえで、完成に向けて狭いトンネルが続く長野県内の「松本－中ノ湯間」、岐阜県内の「高山－平湯間」で優先的に事業を進めるよう求めている。産経ニュース　11月20日</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Sat, 22 Nov 2008 15:16:38 +0900</pubDate>

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<title>冬が来る前に</title>
<description>最近は嫁さんと「'70-'80年代の歌」をYouTubeで見ては懐かしがっています（年だなーーー二人とも好きな歌・・・そしてちょっと悲しい思い出もそれぞれに持つ歌。嫁さんは、ちょうどこの歌が流行った頃引越しをして、仲の良かった友達と別れることになったのでこの歌を聴くと、その時の事がフラッシュバックしてくるんだそうです。前のエントリで、高山の初雪平均日は11月15日と書きましたが　　　＞＞＞資料はこちらこれは30年分くらいの平均値をとるので、２１世紀に入ってからは12月になってはじめて初雪が降ることも珍しくなくなりました。（一度、数年前に10月に降りましたけどね）国分寺の大イチョウの木も見事に黄色くなりました。　　＞＞＞国分寺のサイトこの葉が落ちると、高山に雪が降ると昔から言い伝えられていますが、さて今年はどうでしょう？今週末、20日あたりから本格的が寒気が南下してくるとの予報になっています。</description>
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<category>飛騨の土地のこと</category>
<pubDate>Mon, 17 Nov 2008 12:35:55 +0900</pubDate>

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<title>ロード　序章　（またまた、あの曲とは・・・）</title>
<description>大きな地図で見る以前のエントリで400年前の道のことを書きましたが、今回は少なく見ても1000年前の道のお話。位山道：石畳を一般公開　「ロマンの道」保護訴え－－高山市教委、発掘調査　／岐阜　高山市教委が発掘調査している同市一之宮町（旧宮村）の古代の道「位山（くらいやま）道」（東山道飛騨支路）で見つかった石畳がこのほど、一般公開された。発掘調査を指導した八賀晋（すすむ）三重大学名誉教授（考古学）は、石畳の道が奈良・平安時代に造られたと推定、千数百年を経てよみがえった「ロマンの道」の保護を訴えた。　位山道は、一之宮町から位山峠（１０８９メートル）を経て下呂市に至る延長約２８キロ。東山道は７１０年の平城京遷都後、東海道、北陸道、山陽道などに分けて駅逓の制度が定められた７道の一つ。文献によると、飛騨支路の呼び名は美濃（方県（かたがた）駅）で、東山道から分かれて飛騨方面への分岐路の一部になるからという。　同市教委は地元の人たちの間で散策道に使われている位山道の範囲や性格、時代などを明らかにするため、昨年８月から一之宮町側の延長約９２０メートルの区域を発掘。この結果、幅１・５～３メートルの道の地表近くから直径３０～６０センチの石を敷き詰めた石畳が見つかった。石畳の下には握りこぶし大の石が敷き詰められていた。　市教委によると、物資流通の貴重な道路だったとみられ、石畳は斜面の道が大雨などの出水で流されたり、壊されないようにする目的だったという。田中彰市教委文化財課長は「文化財としての価値があり、地元の人たちに保存会の結成などを呼び掛けたい」と話していた。毎日新聞　2008年11月6日大宝律令（701年)で制定された道路制度では、東山道は飛騨国国府から信濃国＞越後国へ抜けていたとされるのですが（そのルートが安房峠か野麦峠かには諸説あります）、和銅6（713)年に岐蘇道・・・今の木曽路が開通し、飛騨への道はメインルートから外れました。が、この道を奈良や京の都に向けて「飛騨の匠」達が行き交ったのはまちがいなく、宝亀7年(776) 年には美濃国菅田駅（今の下呂市金山町菅田）と飛騨国大野郡伴有（とまり）駅（今の下呂市萩原町上呂）との間に下留（しもつとまり）駅（音読みで「げる」、今の下呂市下呂）ができた、という記事が残っています。今も「飛騨街道」と呼ばれる菅田から袋坂峠を抜けて美濃加茂または関方面へ向かう道が奈良の都へ向かう道だったのでしょう。続いてかなり時代は下がり、延喜式（927年）では、飛騨支道は美濃の方県駅－武義駅（今の関市関）－加茂駅（今の下麻生か中川辺のあたり）－下留駅－上留駅－石浦駅となっています。この場合、菅田を通らず今の益田街道、飛騨川沿いに上り白川口か下油井から加子母・竹原方面へ抜けるルートが地形から見ても妥当で、何故ここが変わったのかは良くわかりません。（11/11追記・・・上麻生から菅田へ抜ける道がありますね。こっちを通ったのかな。）当時は三十里－六十里（今の17-35km位）にひとつの駅を作るように指示が出たそうですが、加茂駅－下留駅間の距離を見ても分かるように、地形的な制約が相当大きいものです。で、上呂から位山峠を越えて（よくこの道は大変だと言われますが、当時の道路事情からするとそんなにキツイ道とは思えません。地形を考えれば当然ここに道が出来るようなルートで、はるか後、金森時代に久々野＜＞小坂間の道を大規模改修したことで、はじめてこちらが主要道になったほどの道です。）「石浦駅」へもほどほどの距離になるのですが、問題はこの「石浦駅」。飛鳥時代に今の高山市国府に飛騨国府があった時代ならいざしらず、飛騨国分寺が高山市街に建立されてからは、石浦駅があったとされる高山市石浦町からは目と鼻の先。長い旅の末にここまで来たら、もう高山の街に入ったほうがどれほど楽かと思います。下手をしたら、当時は石浦町から国分寺の七重の塔が見えたのではないでしょうか？私見では、「石浦駅」は今の高山市宮にあったように思われます。上留駅から谷間をずっと来て位山を仰ぎ、刈安峠から下に拡がる盆地を見たとき、ここで休憩しようと思うのですが。水無神社、宮川の伏流水による「鬼河原」など、この地を「石ウレ」と呼ぶにふさわしい条件が揃っているように思われます。何故その下流が「石浦」になったのかはさておき。</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Sun, 09 Nov 2008 16:11:36 +0900</pubDate>

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<title>七五三と初雪</title>
<description>先日、子供の七五三の祈祷を近くの神社で行って頂きました。本来は11月15日ということですが、いつも土日というわけではないこと（今年は土曜日)、その日は混雑が予想されることもあり、我が家も含めて、少し前に行う家庭が多いのではと思います。以前「旧暦の季節感覚」というエントリを書いた事が有りますが、ふと「あれ？七五三ってどうなんだろう？」という疑問が湧き、高山在住の同級生にメールで確認してみると、即返信が。「高山も、今の時期に七五三の子供をたくさん見かけるよ！」ということで、やはり高山でも11月15日前に行うのが普通です。はるか昔、自分のときのことを想いだしてみると・・・・・・・・・・・・やはり秋の寒い時期、半ズボンが寒かった記憶がかすかに残っています。それと、手にべたついて大変だった「千歳飴」の思い出も。そこで調べてみると、もともと室町時代から始まった武家の行事が原型のようですね。江戸時代には徳川家が執り行ったことからスタンダード化し、11月15日という事になったのは五代将軍・徳川綱吉の息子の祝いを旧暦のこの日に行った事が発祥らしいです（参考文献：allaboutより）しかしこの行事が、明治時代に入ってスムーズに新暦の11月15日に移行したのはもともと季節感に根付いた行事ではなかったためのようです。しかしＷikipediaなどには「北海道や東北の寒冷地では、寒さを避けて10月15日に行う地方もある」という記載があり、実際今でも北海道では10月に行うのが一般的みたいですね。確かに、既に初雪の降った札幌などでは、11月15日の行事では子供に風邪引かせるようなものです。（何故か、必ず男の子は洋服だと半ズボンなんですよね！可愛いんだけど、本人は寒いはず？）飛騨も既に最低気温が0度近くになる時期ですが、この時期に雪が降ることは大変まれで、そのため飛騨では11月に行う習慣のままなのでしょう。飛騨の初雪の平均日を調べたら、なんと「11月15日」！ギリギリなんですな。初雪の平均日がこの日以前の地域では、おそらく七五三を10月にやる事が多いはずです。気象と文化が見事に関わりあっている一例・・・でしょうか？？昭和の千歳飴とは違い、平成の千歳飴は手にもくっつかず、あまり硬くもなく。子供は手や服を汚さず食べていました。親としては、こっちの方がずっとありがたいですね～～</description>
<link>http://makochin.hida-ch.com/e78563.html</link>
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<category>徒然に思ったこと</category>
<pubDate>Thu, 06 Nov 2008 11:28:35 +0900</pubDate>

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<title>EMERGENCY!</title>
<description>以前も当ブログで取り上げましたが＞こちら　東京都並みに広い飛騨の緊急医療、医療崩壊とも言われる現状では大変不安を抱えている状態なのですが、先日の東京のど真ん中での妊婦受け入れ拒否事件を機に、ようやく自治体を超えた対策がなされようとしているようです。それにしても、下呂市は大丈夫なのかな？美濃方面へ行ったほうが早いのでしょうか。私もまだ小さい子供を抱える身、子供が夜間などに痛いと言い出したり、高熱を出したとかいう時の親の心配についてはよく判ります。入院にならなくても、「お医者さんに診てもらって」処方をしてもらうだけでも、親としてはホッとするものです。医者から見れば軽症なのかもしれませんが・・・それだけに、お互いを考えたこういった形で小児救急に対応するということは朗報ですし他の救急重症例への処置についても、これまでよりスムーズに行えるようになりそうです。（高山）小児夜間診療室を設置　　今月から久美愛厚生病院に毎週金曜　高山市大新町の久美愛厚生病院に１１月から毎週金曜日午後８時～同１０時、「小児夜間初期救急診療支援室」が設けられることになった。市役所で３１日、運営主体の同市、飛騨市、白川村の首長と同病院の堀明洋院長、高山市医師会の加藤邦二会長が協定を締結した＝写真＝。　診療対象は２市１村に在住の１５歳以下の子供で、入院を必要としない軽症患者。診療は、同医師会の小児科医または内科医が行う。　支援室開設の背景には、重症患者を主に治療する救命救急センター（高山赤十字病院）に軽症患者が殺到し、医師の負担が増えていることがある。　高山市によると、救命救急センターで診察を受けた患者は昨年度で約１万５０００人。うち８５％は入院を必要としない軽症患者だった。また、市は小児医療の無料化を実施しており、患者総数のほぼ３分の１を９歳以下の子供が占めているという。２市１村は年間計３００万円を負担する。初回は１１月７日。金曜日が祝日か年末年始になった場合は開設しない。2008年11月1日  読売新聞また、こういった集会もあるというニュースを知りました。　「飛騨地域医療を考える会」（大下大圓代表）が１日、医師不足や救急医療などをテーマに地域医療を考える集い「飛騨の医療は今！」を高山市役所市民ホールで開いた。　行政、医療関係者、市民ら約２００人が参加。▽久美愛厚生病院（高山市）の堀明洋院長▽高山赤十字病院（同）の棚橋忍院長▽高山厚生病院（同）の市江良康院長▽飛騨市民病院の黒木嘉人院長（飛騨市）－－の４院長がパネリストとなった。　棚橋院長は救急体制、小児救急の現状と、医師や看護師の過重労働の実態を説明し、「救急医療への国や住民の支援が大切」などと訴えた。また黒木院長は「医学部卒業後の研修病院が任意で選択できるようになり、大学病院に来る研修医が激減したため、大学病院が地域の病院から派遣医師を引き揚げるようになった」などと、医師不足の要因を説明した。　「飛騨地域医療を考える会」は、飛騨地域での緩和ケア病棟の実現を目指して活動する「飛騨にホスピスをつくる会」の有志が、「飛騨地域の医療そのものを考えて行こう」と発足させた。毎日新聞　2008年11月2日医者が過重労働で辞めていくような現状も、何とか打破しなければいけません。大下大圓氏は、千光寺の住職さんとしておなじみの方ですね。</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Sun, 02 Nov 2008 16:55:15 +0900</pubDate>

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<title>Go WEST!!</title>
<description>夏には飛騨の山間部でよくヒラヒラ飛んでいるのを見かける蝶「アサギマダラ」。この蝶は「渡り｣をすることで知られていますが、一ヶ月で800kmも飛ぶとは驚き。一日平均30kmくらい（もちろん雨の日は飛べないので・・・）は軽く移動するんですね。しかも西から東なので、偏西風や雲の向きとは逆方向。昆虫の凄さに驚きです。来年の夏、明るい段だら模様の大きな蝶を山で見かけたら、コイツです！アサギマダラ、ひらひら８４０キロ　９月に高山で放ち長崎で捕獲９月７日に高山市高根町日和田で放された渡りをするチョウ「アサギマダラ」が今月９日、約８４０キロ離れた長崎県新上五島町で捕獲された。９月に飛騨地方で放されたアサギマダラは兵庫県や高知県などで相次いで捕獲されている。　「乗鞍岳と飛騨の自然を考える会」（高山市）は９月７日、同市高根町日和田でアサギマダラに印を付けて放す「マーキング会」をし、同市内の親子ら３５人が９７匹に名前、日付、場所などを書いて放した。　今月９日、長崎県新上五島町の山中でアサギマダラを捕獲。マーキングから日和田で放したチョウと判明した。　下呂市の男性が９月２３日に同市内で放したアサギマダラも、今月７日に兵庫県宝塚市で、１５日には高知県香美市で相次ぎ捕獲された。日和田の別のチョウも、９月１４日に福井県大野市で捕獲されている。2008年10月24日　中日新聞</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Tue, 28 Oct 2008 13:27:23 +0900</pubDate>

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<title>芥川賞作家と飛騨牛</title>
<description>先日、中国人作家としてはじめて芥川賞を受賞した作家・楊逸さんのインタビュー記事が面白かったので、この記事に起こしておきます。「ブランド牛」　楊逸さん「家で作る料理は、あり合わせで味を工夫した手抜き。中華料理といったら中華料理に失礼だし、日本料理といったら日本料理に失礼だし……」　天安門事件を題材に、芥川賞を受賞した小説「時が滲む朝」には、学生たちに肉まんが差し入れられるシーンがある。熱々の湯気にこぼれる肉汁。あまりにおいしそうな記述だったので、「食いしん坊ですか」と尋ねてみた。　「そう！　食べるの好きですよ。私、好き嫌いないんです」と、小柄な体から勢いよく日本語が飛び出した。「だから、一人でおいしい思いをした」。お茶の水女子大の学生だった２０歳代のころ、引率の先生と留学生とで出かけた飛騨高山旅行で、ブランド牛を独り占めしたという。　夜の宴会で並んだのは、刺し身やすき焼き用の霜降り肉。慣れない日本料理に手をつけない学生もいて、次々に皿が回ってきた。「中国の牛肉と全然違って、臭みもなくて軟らかくて。日本料理がおいしくなってきたころだったので、いくらでも食べられた」　故郷は中国東北部。両親は教師で、５人の子どもと囲む食卓は貧しかった。ハクサイの漬物などしょっぱい保存食が中心。「おなかがいっぱいになれれば良かった。トウモロコシとか小麦とか毎日毎日同じもの。あまり食べなかったから、私だけ背が小さくなったんですよ」と笑う。　２２歳の時、日本留学が決まった。飛行機に乗るために、列車で４８時間かけて上海へ。料理の味付けに砂糖が使われているのに驚き、甘くて食べられなかった。日本に来たら「味が薄くて、合わなかった。焼き魚にみそ汁、今は大好物だけれど、しばらく食べられなかった」。　昼間は日本語学校に通い、夜は工場で朝まで働く生活は、「いつも眠かった」と振り返る。故郷では料理をしたことすらなかったが、アパートを借り、必要に迫られて自炊をするうちに、「いつの間にか慣れた。スーパーで刺し身を買って食べてましたよ」。　好きになったチェーン店の牛丼を飽きるまで半年間食べ続けたことも。飛騨で食べたようなブランド牛は「私の経済力の範囲内では、めったに食べられない。だから、今でも大好き」とちゃめっけたっぷりに続けた。　大学卒業後、中国語新聞の記者を経て、中国語講師として働いた。中国で反日デモが起きて、生徒が激減し、暇になったので文章を書き始めたという。　「子どもが学校から帰ってくるまでの間にしか書かない」が、書いている間は「面白い」。ただ、飽きっぽい性格を知っているから、「好きなものには近づきすぎない。文章もしばらく怠けて、自発的に書きたいと思うときに書いた方がいい」とマイペースだ。　異国で違う味を知り、言葉を覚え、「常に食べたことのないもの、知らないことを体験したい。何もしないで死ぬのはもったいないなと思う。もし私が大金持ちのお嬢様で、これまでのような人生を歩めなかったとしたら寂しい」。　自力で世界を広げてきた人が紡ぎ出す言葉の力強さが端々から伝わってきた。（大森亜紀）　ヤン・イー　作家。１９６４年、中国黒竜江省ハルビン市生まれ。８７年に来日。日本語学校を経て、お茶の水女子大で地理学専攻。高校生の息子と中学生の娘がいる。「ワンちゃん」で文学界新人賞、「時が滲む朝」で第１３９回芥川賞。１月に「金魚生活」を発刊予定。（2008年10月21日  読売新聞）昔読んだパール･バックの「大地」には感銘を受けましたが、２０世紀後半の時点でも中国の内陸農村部はこんな感じだったんですね。最近何かと問題の多い？中国ですがまだまだ内在する問題の根は深いのでしょう。無理に糊塗しようとする国家に問題があるのですが。ただし、今流行の、やたらと外国を軽蔑しようとする風潮も（これは日本だけでなく、東アジア全体の風潮でもあります)そうではない、と声を大にして言いたいです。</description>
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<category>TV・新聞・雑誌などから</category>
<pubDate>Tue, 21 Oct 2008 13:44:48 +0900</pubDate>

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<title>もっと、地産地消を！</title>
<description>先日は「事故米」による焼酎の風評被害が話題になっていましたが、寒冷で水の良い飛騨ではやはり清酒が適しているため、今も飛騨に多くの蔵元が営業を行っています。がしかし、「日本酒離れ」は次第に進んでいるようで、私(1960年代のどこか生まれ)から上の世代はよく日本酒を飲んでいたように思いますが、ちょうど下の世代あたりから、日本酒を飲むという事が少なくなっているという感じがします。以前、旅行に行った新潟県の温泉宿で、夕食に「試飲セット」という名で、地域の各酒造会社のお酒を数銘柄並べられ、かんたんに「利き酒」を楽しむ事が出来ました。こんな感じのことを酒造会社と旅館が共同戦線を組んで行ってみては、どうでしょうかね？また、飛騨の各酒造会社さんも良いお酒を造る努力を続けています。コンテストでの入賞作などは（醸造量が少ないため、なかなか出回らないので宣伝は痛し痒し・・・ということなんだそうです）もっと知ってもらえないものでしょうか。恒例の「冬の蔵元めぐり」は観光客には好評なので、もっともっと飲んでもらえる、知ってもらえる機会を酒造組合が足並み揃えて作ってほしいものです。私の好みの飛騨のお酒はというと・・・ここでは差しさわり？があるので公言は控えます。でも、どれもいい味ですよ！　あとは個人の好みの問題だけです。もうすぐ新米から、新酒醸造の季節。来年には新しい酒が、また醸し出されます。飛騨の酒蔵１３軒が試行錯誤　海外でＰＲ、地元の需要拡大…　飛騨地方の酒蔵１３軒でつくる飛騨酒造組合が８月「飛騨の酒」を地域団体商標に登録した。焼酎に押されていた酒の消費巻き返しへ、各酒蔵は海外でのＰＲや地元での需要掘り起こしなど、さまざまな試行錯誤を続けている。　下呂市の天領酒造は１１月にもロシア・サンクトペテルブルクで販売を始める。今年、モスクワであった酒類品評会で金賞を取ったのがきっかけ。日本食ブームに乗った需要を期待する。　同社は４年前から、日本航空の国際線のエグゼクティブクラスで９－２月、商品を提供するなど、海外ＰＲに努めてきた。ただ、上野田隆平社長（５４）は「販売拠点はあくまで地元」と強調。「いかに下呂の人に飲んでもらうかが課題。観光客は地元の人が飲む酒に興味がある。地元で人気が出れば、観光客にも売れる」と言う。　高山市の平瀬酒造店は、昨年から始まった英国・ロンドンでのコンテストの日本酒部門に２年連続出品。純米吟醸酒「久寿玉　まるいちや」が昨年の銀に続き銅メダルを獲得。同市の原田酒造場と、川尻酒造場もそれぞれ銅メダルを得た。平瀬酒造店は９月、中国・香港での試飲会にも出品している。　国内有数の酒どころ飛騨でも日本酒離れは深刻。どの酒蔵も地元の需要掘り起こしに力を入れる。原田酒造場の原田克之社長（３９）は「日本酒に抵抗感がある人が多いので、飲みやすい商品を開発。試飲イベントなどで売り込みたい」と話す。　日本酒へのハードルを低くしようと、飛騨市古川町の渡辺酒造店は、飲んだ人の感想を新聞の折り込み広告に載せている。「ストーリー性」を重視し、酒蔵での接客用に出していた特製品を「蔵元の隠し酒」として販売するなど、付加価値の高い商品展開に知恵を絞る。　【日本酒消費量】１９７５年度の１７４万７０００キロリットルをピークに減少し、２００６年度は７０万１０００キロリットル。焼酎ブームは収まりつつあるが、依然として厳しい状況が続く。2008年10月15日　中日新聞</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Wed, 15 Oct 2008 13:54:47 +0900</pubDate>

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<title>ノーベル街道</title>
<description>今朝の日本テレビ系「スッキリ!!」でも取り上げていましたが、今回のノーベル物理学賞受賞の3博士はいずれも名古屋大学の関係者です。そして、ノーベル化学賞受賞の下村博士もかつて名古屋大学の理学部に在籍しており、名古屋と富山を結ぶ飛騨の大動脈国道41号線沿いに縁のある方が多くのノーベル賞を受賞している・・・ということで、番組中のコメントでは「ちょっとこじつけ気味」とか言われていましたが、実はこの「ノーベル街道」の話は岐阜県と富山県が、密かに？世の中に広めようとしているのです。こちらが富山県の公式サイト。ここに今回名古屋までを加え、国道41号線沿いに数多くのノーベル賞学者を輩出！という、半ばお笑いながら？面白そうな地域おこしかも。白川英樹教授は高校まで高山で過ごされましたが、飛騨からも未来の大学者が出てくるといいですね・・・</description>
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<category>TV・新聞・雑誌などから</category>
<pubDate>Thu, 09 Oct 2008 11:35:18 +0900</pubDate>

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<title>Watcher of the skies</title>
<description>いささか旧聞に属するニュースを取り上げますが・・・天文・気象に並々ならぬ関心を持っていた、小学校低学年（！）のワタクシ。小学2年のときに神岡から高山へ引っ越してきた時、親に頼んで桐生町にあった高山測候所を見学させてもらったりしました。その高山測候所も、2005年に自動測定化・無人化が決まり、ずっと桐生町にあった測候所の建物は、今は解体されてしまっています。そして今年、乗鞍連峰・摩利支天岳にある有名な「コロナ観測所」が、来る2010年3月をもって閉鎖されることが決まり、先日までその施設の利用の募集をしていたのですが、なにぶん大変な場所にある事が災いして、進展は見られなかったようです。神岡のスーパーカミオカンデ関連施設、大雨見山の京都大学飛騨天文台と並び、飛騨の天文学施設の象徴であったコロナ観測所がなくなってしまうのは、時代の流れとはいえ（2006年に打ち上げられた観測衛星「ひので」だと、天候に邪魔されず常時観測が可能です）さみしいものが有りますが、飛騨には東大・京大といった国立の天文観測施設が集まっているということは覚えておきたいですね。6月26日　アストロノーツ記事より国立天文台の太陽観測施設である乗鞍コロナ観測所は、施設の老朽化が進み環境維持が困難であるため、2010年3月末で観測利用を停止する。これに伴い、国立天文台は同施設を引き継いで利用する希望者を募っている。国立天文台太陽観測所・乗鞍コロナ観測所は、1949年に東京大学東京天文台の附属施設として北アルプス乗鞍山系摩利支天岳（標高2876m）の頂上に開設された。3つのコロナグラフを備えており、空の背景光が少ない環境を生かして、太陽の外層大気であるコロナを中心に観測を行い、数多くの研究成果をあげてきた。しかし、開所から60年近くがたち、厳しい自然環境の中、観測設備を含めた建物の老朽化が進み、年々維持運営が難しくなってきた。さらに、冬季は雪に閉ざされ物資や人員の輸送が困難であり、晴天日数も少ないことから1998年以降は夏季のみの観測運用が続いていた。そのため、今年3月10日の国立天文台運営会議で、2010年3月以降、同観測所における共同利用観測を停止することが決まった。2006年に打ち上げられた太陽観測衛星「ひので」との共同観測による成果をもって、区切りとする。</description>
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<category>飛騨の土地のこと</category>
<pubDate>Mon, 06 Oct 2008 14:11:45 +0900</pubDate>

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<title>長瀬旅館が・・・</title>
<description>前の記事で「急がないこと・・・」と書いた矢先のこのニュース。Yahoo!のヘッドラインにも出たので、多くの人が見たはずです。長瀬旅館：２５０年の歴史に幕　後継者なく　岐阜・高山　放浪の歌人・若山牧水や、野口雨情、徳富蘇峰ら多くの文人が訪れた岐阜県高山市の「長瀬旅館」＝長瀬雅子社長（４７）＝が１１月末、老朽化と後継者がいないことから、約２５０年の歴史に幕を閉じる。国の伝統的建造物群保存地区にある旅館は、日本情緒を求める外国人を引き寄せ、最近では宿泊客の９０％を欧米人が占めていた。　１７００年ごろ造り酒屋として創業し、１７５４（宝暦４）年に旅館になった。敷地面積約２０００平方メートル、木造２階建てで、８～２０畳の客室が１階に９室、２階に２室ある。１階には滝とせせらぎ、樹木を配した日本庭園が六つ造られ、すべての客室から四季折々の庭が眺められる。　著名人が多く訪れ、作家では井上靖や田辺聖子、田中澄江らが投宿。俳人の山口誓子、建築家のブルーノ・タウト（ドイツ）、エベレスト登頂に成功したヒラリー卿（イギリス）らも宿泊した。　１９２１（大正１０）年９月１８日に訪れた若山牧水は「高山では某（長瀬旅館）という旅館が一等いいと云（い）う話を聞いていたので、とぼとぼとその門口へ辿（たど）りついて一泊を頼んだ」と記した。　１１代目当主の雅子さんによると、３年前に１０代目の父桂一さんが急死し、その後は祖母と母純子さん（７３）とともに旅館を切り回してきた。しかし、今年６月に純子さんが体調を崩してしまった。後継者がおらず、建物も老朽化が目立つようになり、旅館を維持していくことが難しくなったという。黒字経営で無借金だっただけに、雅子さんは「断腸の思いで選択した」と話す。　建物は国の伝統的建造物群保存地区にあるため、そのまま残す。雅子さんは「私の子ども時代、高山にはまだ広いスペースの建物がなかったので『長瀬会館』と呼ばれ、ダンスパーティーなど多くの催しが行われた」と往時を懐かしんだ。2008年10月2日　毎日新聞　この記事が内容が一番詳しかったのですが現社長・長瀬雅子氏の写真の入った記事が読売オンラインに出ています。しかし、これは残念であり、大きな痛手ですね・・・欧米の観光客に、特に人気のあった和風旅館だけに、残念です。例えばこのサイトやこのサイトなど見ると分かりますが、海外でも大変評価の高い日本の宿なんですよ。リンク先の「高山のホテル・旅館」一覧はこちら。幸い先日の老田酒造などと違い、建物は保存されるとの事ですが、外国人観光客に人気の宿がなくなるのは残念です。画像にもある「中庭の借景」に「日本の文化」を感じる方が非常に多い、と以前聞きましたがこちらも今後見られなくなってしまうんでしょうかね・・・</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Thu, 02 Oct 2008 16:00:49 +0900</pubDate>

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<title>Haste makes waste.（急いては事を仕損じる）</title>
<description>今日から１０月、秋の高山祭ももうすぐです。今年の夏に帰郷して、気の置けない友人との飲み会、高山市街地の中心部に集まった時・・・「街中を見た？今は外国人の観光客がすごく多くなってきたんだよ」と言われました。確かにその通りで、道を歩きながら聞き耳を立てれば、英語・韓国語・中国語はもう当たり前。こちらの記事によると、２００６-２００７年で外国人観光客は２３％増加、今年２００８年も恐らく同じようなペースで増加しているのでしょう。とすると、わずか２年で１．５倍以上に・・・高山市の公式サイトには、なんと１１ヶ国語での紹介が（まだまだ不十分ですが）されています。ミシュランガイドで3つ星観光地に選ばれた事が影響してるのは間違いありませんが、ゆっくりしたペースでは有りますが徐々に外国人観光客への対応をしているようですね。残念ながら世界遺産推薦候補からは外れてしまいましたが、それでかえって良かったのかも。高山には、性急な事は似合いませんし、そもそも土地柄にも合わないと思います。しっかり外国人観光客対応への「実力」を養っていってからでも遅くはありません。今のペースでさえ、客の増加に追いついているようには見えないのですから・・・高山の学校では「観光客とコミュニケーションをとるための外国語の言い回し」くらい覚えさせてもいいんじゃないでしょうか。かく言う私も、これまで何度か外国人観光客に道を尋ねられたり、祭りの事で聞かれたりしています。（主に中学高校の頃ですよ！！）「国際的な観光都市」としての特色ある教育も、いいんじゃないでしょうか？例えば祭の屋台。周りの飾りに手を伸ばそうものなら「見張り役」からやんわりとたしなめられる。日本では、ガイド誌などにも随分この事が紹介されたりしてきたので、かなりの観光客の方が手を出さなくなってきたように思いますが、外国人観光客はそのような認識はあまり無い、と思った上での事前手配が必要でしょう。マルチリンガルでの警告板を作って、屋台前に建てるとか。とりあえず２３個作れば済むわけですから、こんなことくらいは市が費用を出しても良さそうですね。（でも、これは急いだ方が良さそうかも・・・）そういえば、私たちの頃は中学生の外出は「体育用のジャージ」でもかまいません、という事になっていましたが、あれって外国人観光客が不思議がって（気味悪がって？）高山市に質問したことで、ジャージで歩き回るな、という事になったんだそうですね。</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Wed, 01 Oct 2008 07:02:00 +0900</pubDate>

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<title>山ぶどうの栽培</title>
<description>飛騨の山中で生まれた祖母に小さい頃から連れて行かれたので、春の山菜、秋の「こけ（キノコ）」などは、難しいものでなければ一通り採る事が出来ます。今の時期は、東京から帰って「もたせ」や「たいこのばち」を採りに行きたくなってウズウズすることも（笑秋の山の味覚の代表は「こけ」ですが、もう木々の葉も落ち始める10月になると山では時々、美しく赤･黄色に色づいた大きな葉っぱとともに、紫色のヤマブドウの実を見かける事があります。私も2,3度ほど、この実を食べたことが有りますが、同じ場所でも年によっては全く出来ないとか出来ても食べられないとか不安定なもので、次の年はまた収穫できるようなものではないため、なかなか良い実にはめぐり合えません。また、深山の場合は、これは熊の大好物なのでバッタリ出くわさないように・・・という注意を皆必ずされていますので、奥の方へはビビッて入れない事も多くあります。15年ほど前、親戚の人が簡単な瓶詰めのジュースをくれた事があります。その時、確か知り合いが栽培をしてて分けてもらったとか聞いた記憶があるのですが、もしかしてココの産のものだったかも・・・その山ブドウのジュースは、一般のぶどうジュースより少し「山の味」がしたと記憶しています。でもおいしいんだ、これが。それにしても、写真のヤマブドウ！栽培種並みの大きさと実の多さですねここまで出来るものなのかぁ～飛騨地域の特産品「山ぶどうワイン　飛騨」の原料となるヤマブドウの収穫が２７日、高山市内の農家で始まった。　ヤマブドウは、１１人の農家でつくる「飛騨山ぶどう研究会」が栽培。２０年前に農家や県中山間農業研究所、ＪＡひだなどが連携し、飛騨地域に自生するヤマブドウから優良種を選んで栽培が始まった。今年は、会員それぞれのブドウ畑から計６トンほどの収穫を見込んでいる。　同市山口町の桝田稔さん（７９）の畑では、この日朝から収穫作業が行われ、桝田さんらがたわわに実ったヤマブドウを丁寧にもいでいた。桝田さんは「今年も生育は順調。消毒など薬を使う回数をできるだけ減らして育てている。ヤマブドウ本来の自然な甘酸っぱさを楽しんでほしい」と話していた。岐阜新聞Web　2008年9月28日</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Mon, 29 Sep 2008 15:02:35 +0900</pubDate>

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<title>下呂のトイレでうどん</title>
<description>うを、初めて同じ日に２エントリ書きます。それも、この記事が衝撃的だったので・・・飛騨の人が東京へ出ると、大抵一度はこの話につき合わされますそれが「下呂」の話。飛騨では「ゲボ」または「ゲーゲー」ですが、関東（標準語）では「ゲロ」のため「下呂」の名前の付く食べ物やお土産は、関東人にとっては一瞬「引く」ものになります。当の下呂の人も、それを分かった上で半ば確信犯？で出してるお土産とかありますよね。「下呂の香り」「下呂自慢」「下呂牛乳（ホントは美味しいよ！）」などなど・・・さて今回の記事。新築のトイレでうどん　地元の風習で完成祝う、ＪＲ下呂駅前新設されたトイレの中でうどんを食べる関係者ら＝下呂市幸田のＪＲ下呂駅前で　下呂市幸田のＪＲ高山線下呂駅前に公衆トイレが新設され、２１日に記念式典があった。観光関係者らが地元の風習にちなんで、トイレの中でうどんを食べて完成を祝った。　昔はトイレが離れにある家が多く、冬は脳卒中などを起こす人も少なくなかった。このため、新築の際にうどんをすすって温まり、健康を願う珍しい風習が市内に残っている。　式典ではテープカットに続き、野村誠市長や伊東祐下呂温泉観光協会長らが中に入り、地元の米・龍（りゅう）の瞳（ひとみ）で作ったうどんを味わった。　トイレは観光案内所の横に設けられ、総工費は１２１８万円。これまでは改札を通らずに下呂駅構内のトイレを利用できたが、ＪＲ東海が無賃乗車の防止などを理由に方針を転換。同市が６月に工事を始めていた。2008年9月22日　中日新聞ええぇ？？　私も飛騨の風俗・民俗を多少は勉強したと思いますがこのような習慣があることは、ついぞ聞いた事がありませんでした。確か「風呂」を作る時は、うどん食べるという話聞きましたが・・・（同様の習慣が、うどんの本場・讃岐地方にあります）どなたか「俺それ知ってる」とか「ウチでやったことある」という方いらっしゃったら、ぜひ！その地区名を明記の上、コメントお待ちしています！！</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Mon, 22 Sep 2008 16:16:41 +0900</pubDate>

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<title>金蔵獅子</title>
<description>金蔵獅子（きんぞうじし）は、飛騨の各地で春または秋に行われる奉納獅子舞芸です。最も有名なのは、旧国府町（高山市国府町）で行われるもので、県の無形文化財に指定されています。秋のほうは、毎年9月第3日曜日に上広瀬の加茂神社・諏訪神社境内で行われます。ストーリーは、各地区によって多少異なりますが、おおよそ次のようなもの。１）山から降りてきた獅子が、田畑を荒らしたり人に悪さをする。　＃飛騨の場合は猪（北飛騨にはいない）か猿・熊ですよね。それを獅子に託したのでしょう。２）勇敢な若者「金蔵」が獅子を退治しようとするが、一旦は返り討ちに会い、やられる３）金蔵に好意を持つ娘が何かをすると、それで獅子の弱点が分かる４）それを期に金蔵は勢いを盛り返し、ついには獅子を懲らしめてやっつける。地区によっては、女性の出てこないものもあり、その場合は３）はありません。このストーリーが、かなりコミカルに描かれます。春の5月にも行われます。もしどこかで出会ったら、このストーリーを思い出した上で見て頂くと、一層面白くご覧いただけますよ。歌舞伎や能なども、ストーリーを知ってて見るのとそうでないのでは、理解度が大違いですよね。迫力の「金蔵獅子」奉納　高山の加茂神社など例祭で奉納される県無形民俗文化財の金蔵獅子＝高山市国府町で　高山市国府町上広瀬の加茂神社と諏訪神社で２１日、例祭が営まれ、江戸時代から続く県無形民俗文化財の「金蔵獅子」の奉納があった。　金蔵獅子は、田畑を荒らし回るどう猛な獅子を金蔵がおかめという名の乙女とともに退治する物語。五穀豊穣（ほうじょう）と家内円満を願う。　氏子でつくる「神道振興会」が奉納。太鼓やすりがねの演奏に合わせて、てんぐの面をかぶった金蔵が剣に見立てた短棒を振り回し、獅子に飛び乗って打ち取る迫力あふれる演技に、観衆から拍手が沸いていた。2008年9月22日　中日新聞</description>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Mon, 22 Sep 2008 15:58:51 +0900</pubDate>

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<title>飛騨百山</title>
<description>ふるさとの山に向ひて 　言ふことなし 　ふるさとの山はありがたきかな　　　　石川啄木　「一握の砂」より抜粋飛騨に育ち、東京に出てきた自分にとっては、この詩は物凄く共感できます。遥か関東の山の頂きから、北アルプスの峰がちらと見えた時・・・「あの向こうは、飛騨の国なのだ」と想わずにはいられません。お正月、まだ新宿からの路線バスがなかった頃の話。名古屋の駅が近づくと、天気の良い年末には右側に白い山が見える事があります。それは雪を頂いた御嶽山。木曽川の鉄橋を渡る頃、それは斜め前に見えていました。今、高速バスに乗ると、塩尻からの下り、すこしだけ穂高岳や乗鞍岳が見えます。まだバスの旅はここからが本番なのですが、何かほっとした気持ちが広がる一瞬です。そして平湯バスターミナルで休憩する時、天気が良ければ必ず北に目をやります。美しい笠ヶ岳が見えると、「ああ、ここは飛騨なのだな」という気持ちになります。その後、もう十数年前ですか、「飛騨の山々」という本を入手しました。この本が、それまでアルプス以外は山ではないと思っていた考えを変えてくれた本です。神岡の大洞山と二十五山。古川の安峰山。高山の松倉山や源氏ヶ岳。久々野の日ノ観ヶ岳や高屹山萩原の仏ヶ尾山、下呂の湯ヶ峰。今まで意識しなかった、実はいつも見ている飛騨の山たちが急に身近に感じられるようになりました。その他にも、あの山、この山・・・飛騨の至る所にある、山たち。彼女達（山は欧米では女性名詞)が急に目に飛び込むようになって来ました。爾来、飛騨へ帰る途中、帰ってきてから、周りの山々を見るのが楽しみになりました。「ここにして飛騨こそ真の山の国という感が深かった。」とは、「日本百名山」で深田久弥が乗鞍岳に登頂して、飛騨の十重二十重の山並みを見たときの感想です。飛騨山岳会：創立１００周年記念　「ふるさとの山　飛騨百山」を出版　／岐阜　◇山の魅力と感動を　社会人の山岳会として国内で最も長い歴史を持つ飛騨山岳会（木下喜代男会長、会員９８人）が今年、創立１００周年を迎えたのを記念し、「ふるさとの山　飛騨百山」（Ａ４判、１９４ページ）を出版した。ガイドブックにはない山の魅力と感動を３年の歳月をかけて編集した岳人たちの熱いメッセージが伝わってくる。　面積の９２％が山岳地帯という飛騨地方には約３８０の山々がある。会は山々を▽標高２５００メートル以上の槍ケ岳や穂高連峰などの「飛騨山脈（北アルプス）」▽白山や別山などの「両白山地」▽御嶽山や白草山などの「御嶽と南飛騨」－－など５ブロックに分類。会員２４人がそれぞれ、思い入れが深い山を選び、３０００メートル級の名山から日常生活の場にしている低山まで１００山を分担して執筆した。　「我が心の、人生の山」のサブタイトルで北ノ俣岳（標高２６６１・２メートル）を紹介した保谷昇さん（５８）は、１８歳で初めて登った感動がいまも鮮明に心に残っているといい、「あの時、北ノ俣に登っていなかったらいまの私の山（行）はない」などとつづっている。　また、高山市民憩いの場となっている城山や、下呂市の御前ケ岳（標高６６３・７メートル）などの低山を紹介。高山植物をはじめ、厳冬の笠ケ岳、飛騨側からの穂高岳などと題した写真を、山岳写真家として知られる小池潜さんらが提供している。版画作家、松見ひろ子さんも挿画で彩りを添えた。　「ふるさとの山　飛騨百山」は１５７５円で、２０００部を製作した。高山市内の書店で販売しているほか、飛騨山岳会のホームページでもネット販売している。2008年9月13日　毎日.jp地方版</description>
<link>http://makochin.hida-ch.com/e70646.html</link>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Sun, 14 Sep 2008 14:32:37 +0900</pubDate>

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<item>
<title>Google Chrome 使ってみた。</title>
<description>今話題のグーグルが開発したWebブラウザ。表示スピードが圧倒的に速い！ということで、インストールしてみました。・・・・なるほど、これはIE、Firefox、Sleipnirなどと比べて相当速いみたい。MacのブラウザSafariの技術も使われてるんだそうですね。レイアウト表示も、今の所大きな問題はないようです。ひだっちブログもしっかり表示されました。写真アップロードの所の表示が独特。Windows(Vista/XP)のBETA版ダウンロードページはこちら。</description>
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<category>徒然に思ったこと</category>
<pubDate>Wed, 03 Sep 2008 13:44:03 +0900</pubDate>

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<title>Dark Matter</title>
<description>昨日は、高山でも72mmの猛烈な雨が降ったとニュースで報じていました。8月下旬の豪雨、というと昔の「飛騨川バス転落事故」が思い出されます。この時期の飛騨地区、雨による土砂災害には十分ご注意を。さて今回は、豪雨でもほとんど関係のない、山の地中奥深くのお話。天文物理学の世界ではすっかり有名になった「カミオカンデ」は、以前のエントリでも取り上げましたがあちらは「ニュートリノ」を観測する施設。それに加えて、今度の新しい施設が観測するのが現在、暗黒物質（ダーク・マター）といわれているものです。今では常識となった「宇宙は膨張している」という、いわゆる「ハッブル理論」この「膨張している宇宙」が成り立つためには、宇宙の中にはある程度の物質の質量がある、という計算が（詳しいことはとっても難しいのですが)確実な数式によって導かれます。ところが、現在観測されている銀河・星雲・星その他の質量を全部足したとしても、その計算値には全然届きません。計算による理論値の１／１０程度なんだそうです。で、この矛盾を説明するために考え出されたのが「ダークマター理論」です。簡単に言えば「宇宙には、目にも見えず観測も出来ていない物質が大量にある。だから観測値が少なくても、計算は合うのだ」という、一見強引な理論です。実はある時期、「ニュートリノがダークマターでは？」という疑問が出ていました。発見された当時は「質量が無い＝他の物質とぶつかったりして反応しない」といわれていたニュートリノ。しかし、それを観測するカミオカンデのデータから「ごくわずかではあるが質量を持つ」事が確認されたのです。これもカミオカンデの残した大きな業績なんですね。ところが、これで一件落着・・・とはならず。データから出たニュートリノの質量では、まだほとんどのダークマターをこれだけで説明できない、つまり「ニュートリノだけでは足りない｣事も判明しました。（これまで考えられていたダークマター総質量の１割程度だそうです)さあ、そこで「残りのダークマター探し」が始まったわけです。そのための新施設・・・確か以前は「ハイパーカミオカンデ」と名乗るとかいう話も聞いたように思いますがまたもこの施設で新たな画期的発見がなされ、"KAMIOKA"の名前が天文学や物理学の世界に残っていくといいですね。世界初の発見目指す 「暗黒物質」解明へ意欲観測施設、来夏から本格運用暗黒物質の世界初の検出を目指して意欲を燃やす鈴木洋一郎教授　東京大学宇宙線研究所・神岡宇宙素粒子研究施設（飛騨市神岡町）は２７日、宇宙に漂う正体不明の物質「暗黒物質（ダークマター）」の解明を目指す観測施設「ＸＭＡＳＳ（エックスマス）」に使われる神岡鉱山跡の空洞を報道陣に公開した。来年夏から本格運用を始め、世界初の発見を目指す。　暗黒物質は、宇宙ができた直後にでき、宇宙に存在する全物質の８０％を占めると言われる。しかし、光も電磁波も出さないため観測が難しく、詳しい性質は分かっていない。　この分野は世界でも最先端の研究で、神岡町の神岡鉱山跡にある地下１０００メートルのスーパーカミオカンデ近くに、新たに巨大な空洞（奥行き２０メートル、高さ、横とも１５メートル）を設けた。　今後、暗黒物質の検出器となる光電子倍増管約６５０本を入れ、中を液体キセノンで満たした球状の観測装置（直径８０センチ）を取り付ける。この装置は、暗黒物質がキセノンの原子核と反応した際に発する光を検出する。検出できる感度はスーパーカミオカンデの１０００倍にもなる。　世界に先駆けて観測できれば、スーパーカミオカンデでの研究とともにノーベル賞級となる。　同研究施設長で、グループをまとめる鈴木洋一郎・東大教授（５８）（宇宙素粒子物理学）は「世界で競争が激しくなっている分野なので、早く検出したい」と意欲を燃やしている。（2008年8月28日  読売新聞）</description>
<link>http://makochin.hida-ch.com/e67848.html</link>
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<category>飛騨のニュースから</category>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2008 13:35:26 +0900</pubDate>

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