2008年10月21日
芥川賞作家と飛騨牛

先日、中国人作家としてはじめて芥川賞を受賞した作家・楊逸さんのインタビュー記事が
面白かったので、この記事に起こしておきます。
「ブランド牛」 楊逸さん
「家で作る料理は、あり合わせで味を工夫した手抜き。中華料理といったら中華料理に失礼だし、日本料理といったら日本料理に失礼だし……」
天安門事件を題材に、芥川賞を受賞した小説「時が滲む朝」には、学生たちに肉まんが差し入れられるシーンがある。熱々の湯気にこぼれる肉汁。あまりにおいしそうな記述だったので、「食いしん坊ですか」と尋ねてみた。
「そう! 食べるの好きですよ。私、好き嫌いないんです」と、小柄な体から勢いよく日本語が飛び出した。「だから、一人でおいしい思いをした」。お茶の水女子大の学生だった20歳代のころ、引率の先生と留学生とで出かけた飛騨高山旅行で、ブランド牛を独り占めしたという。
夜の宴会で並んだのは、刺し身やすき焼き用の霜降り肉。慣れない日本料理に手をつけない学生もいて、次々に皿が回ってきた。「中国の牛肉と全然違って、臭みもなくて軟らかくて。日本料理がおいしくなってきたころだったので、いくらでも食べられた」
故郷は中国東北部。両親は教師で、5人の子どもと囲む食卓は貧しかった。ハクサイの漬物などしょっぱい保存食が中心。「おなかがいっぱいになれれば良かった。トウモロコシとか小麦とか毎日毎日同じもの。あまり食べなかったから、私だけ背が小さくなったんですよ」と笑う。
22歳の時、日本留学が決まった。飛行機に乗るために、列車で48時間かけて上海へ。料理の味付けに砂糖が使われているのに驚き、甘くて食べられなかった。日本に来たら「味が薄くて、合わなかった。焼き魚にみそ汁、今は大好物だけれど、しばらく食べられなかった」。
昼間は日本語学校に通い、夜は工場で朝まで働く生活は、「いつも眠かった」と振り返る。故郷では料理をしたことすらなかったが、アパートを借り、必要に迫られて自炊をするうちに、「いつの間にか慣れた。スーパーで刺し身を買って食べてましたよ」。
好きになったチェーン店の牛丼を飽きるまで半年間食べ続けたことも。飛騨で食べたようなブランド牛は「私の経済力の範囲内では、めったに食べられない。だから、今でも大好き」とちゃめっけたっぷりに続けた。
大学卒業後、中国語新聞の記者を経て、中国語講師として働いた。中国で反日デモが起きて、生徒が激減し、暇になったので文章を書き始めたという。
「子どもが学校から帰ってくるまでの間にしか書かない」が、書いている間は「面白い」。ただ、飽きっぽい性格を知っているから、「好きなものには近づきすぎない。文章もしばらく怠けて、自発的に書きたいと思うときに書いた方がいい」とマイペースだ。
異国で違う味を知り、言葉を覚え、「常に食べたことのないもの、知らないことを体験したい。何もしないで死ぬのはもったいないなと思う。もし私が大金持ちのお嬢様で、これまでのような人生を歩めなかったとしたら寂しい」。 自力で世界を広げてきた人が紡ぎ出す言葉の力強さが端々から伝わってきた。(大森亜紀)
ヤン・イー 作家。1964年、中国黒竜江省ハルビン市生まれ。87年に来日。日本語学校を経て、お茶の水女子大で地理学専攻。高校生の息子と中学生の娘がいる。「ワンちゃん」で文学界新人賞、「時が滲む朝」で第139回芥川賞。1月に「金魚生活」を発刊予定。
(2008年10月21日 読売新聞)
昔読んだパール・バックの「大地」には感銘を受けましたが、20世紀後半の時点でも
中国の内陸農村部はこんな感じだったんですね。最近何かと問題の多い?中国ですが
まだまだ内在する問題の根は深いのでしょう。無理に糊塗しようとする国家に問題があるのですが。
ただし、今流行の、やたらと外国を軽蔑しようとする風潮も(これは日本だけでなく、東アジア全体の
風潮でもあります)そうではない、と声を大にして言いたいです。




