2008年11月29日
11月下旬、晴れた日の夕方に。

以前、ボウリング場が営業している頃・・・
今頃の季節、晴れた日の夕方4時頃に、この場所へ登って行った事があります。
ここからは乗鞍岳が真正面に見えます。
西の山に陽が落ちていく時間帯、雪を冠した王冠のような乗鞍岳の姿が、純白から次第に
赤みがかった黄金色に染められていきます。眼下の高山の市街地に陽の光が届かなくなると
やがて山とは思えないピンク色に染まり、それが次第に濃くなっていく様を、何度眺めたことか。
そして、3000mの頂にも日没が迫る頃、次第にそのピンク色は色を失い始め、徐々に
グレイの世界へと沈んでいきます。天空でほんのひと時行われる、神々のペイント。
しかしこれで終わりなのではありません。満月の時には、それから昇ってくる月が替わりに
嶺を照らし出します。市街地の夜景の上に、月光を浴びて再び銀白色に輝きだす乗鞍岳。
そして朝。高山盆地には朝霧がかかる事が多いのですが、霧の無い日には
春から夏にかけて、この乗鞍岳から昇る日の出を見ることも出来ます。
なんとも贅沢な景色を、手軽に(駐車場まで自動車で行けたので、誰でも連れて行けた)
堪能できる場所でした。
公園になっても、警備上の問題はあるのかもしれませんが
なんとか夜間立ち入り完全禁止には、しないで欲しいなぁ・・・
高山の旧ボウリング場跡地を公園に
高山市は27日、2006年に取得した同市上岡本町の旧ボウリング場「パークボウル」跡地を
公園として整備する計画を明らかにした。来年1月に着工し、7月末の利用開始を目指す。
敷地のうち平らな部分の1・1ヘクタールに芝生と周遊路、トイレ、展望デッキなどを設ける。
周囲の斜面なども合わせた敷地全体は3・4ヘクタールで、合併前の旧市域では城山公園、
中山公園、原山市民公園に次ぐ大きさ。芝生の広場がある公園としては最大となる。
整備費は約1億円。公園の名称は新年度に公募する。
跡地は市中心部や北アルプスを一望できる高台にある。
旧ボウリング場の建物が廃虚になって防犯上の不安があったほか、市街地からもよく見えることから、
景観の悪化を招くような民間の開発も懸念されていた。
このため市は「景観と里山の保全」を目的に跡地購入を計画。
06年末、岐阜地裁高山支部による競売で1億5000万円で落札した。
昨年1月の市議会で正式に取得が決まった。現在は解体工事が終わり、更地になっている。
2008年11月28日 中日新聞 (画像もこの記事のものを使わせて頂きました)
地図はこちら
2008年11月22日
東へ西へ?

長野県の前知事時代は、(嫌いじゃなかったんですが)まったくと言っていいほど進まなかったのが
松本から高山を径由して福井に至る「中部縦貫自動車道」の長野県側。
東京から高山に帰るときは、あの158号線奈川渡あたりの道路はいつも緊張を強いられます。
大型バス同士がすれ違えないような長いトンネルが、まだいくつか残ってるし
それにダムの横の道はアップダウンのあるカーブだらけの、まさに「峠道」。
こういうところにこそ、高規格道路を早く通してほしいものですが・・・
少しは動き始めているみたいですね。国土交通大臣がおなじみの方になって、好都合?
高山国道事務所 松本国道事務所
中部縦貫自動車道の建設促進を要望 長野県知事ら
長野県の村井仁知事と松本市の菅谷昭市長、岐阜県高山市の土野守市長は19日、金子一義・国土交通大臣を訪ね、中部縦貫自動車道の建設促進を求める要望書を提出した。
同自動車道は、松本市を起点とし、高山市を経由して東海北陸自動車道に接続、福井市に至る総延長約155キロの高規格幹線道路。平成9年には松本市と高山市をつなぐ安房トンネルが開通。16年には飛騨清見インターチェンジ(IC)-高山西IC」、昨年9月に「高山西IC-高山IC」が開通するなど事業が進められている。
要望書では、災害時の緊急輸送など中部縦貫自動車道の果たす役割を確認したうえで、完成に向けて狭いトンネルが続く長野県内の「松本-中ノ湯間」、岐阜県内の「高山-平湯間」で優先的に事業を進めるよう求めている。
産経ニュース 11月20日
2008年11月09日
ロード 序章 (またまた、あの曲とは・・・)
大きな地図で見る
以前のエントリで400年前の道のことを書きましたが、
今回は少なく見ても1000年前の道のお話。
位山道:石畳を一般公開 「ロマンの道」保護訴え--高山市教委、発掘調査 /岐阜
高山市教委が発掘調査している同市一之宮町(旧宮村)の古代の道「位山(くらいやま)道」(東山道飛騨支路)で見つかった石畳がこのほど、一般公開された。発掘調査を指導した八賀晋(すすむ)三重大学名誉教授(考古学)は、石畳の道が奈良・平安時代に造られたと推定、千数百年を経てよみがえった「ロマンの道」の保護を訴えた。
位山道は、一之宮町から位山峠(1089メートル)を経て下呂市に至る延長約28キロ。東山道は710年の平城京遷都後、東海道、北陸道、山陽道などに分けて駅逓の制度が定められた7道の一つ。文献によると、飛騨支路の呼び名は美濃(方県(かたがた)駅)で、東山道から分かれて飛騨方面への分岐路の一部になるからという。
同市教委は地元の人たちの間で散策道に使われている位山道の範囲や性格、時代などを明らかにするため、昨年8月から一之宮町側の延長約920メートルの区域を発掘。この結果、幅1・5~3メートルの道の地表近くから直径30~60センチの石を敷き詰めた石畳が見つかった。石畳の下には握りこぶし大の石が敷き詰められていた。
市教委によると、物資流通の貴重な道路だったとみられ、石畳は斜面の道が大雨などの出水で流されたり、壊されないようにする目的だったという。田中彰市教委文化財課長は「文化財としての価値があり、地元の人たちに保存会の結成などを呼び掛けたい」と話していた。
毎日新聞 2008年11月6日
大宝律令(701年)で制定された道路制度では、東山道は飛騨国国府から信濃国>越後国へ抜けて
いたとされるのですが(そのルートが安房峠か野麦峠かには諸説あります)、
和銅6(713)年に岐蘇道・・・今の木曽路が開通し、飛騨への道はメインルートから外れました。
が、この道を奈良や京の都に向けて「飛騨の匠」達が行き交ったのはまちがいなく、
宝亀7年(776) 年には美濃国菅田駅(今の下呂市金山町菅田)と飛騨国大野郡伴有(とまり)駅
(今の下呂市萩原町上呂)との間に下留(しもつとまり)駅(音読みで「げる」、今の下呂市下呂)が
できた、という記事が残っています。今も「飛騨街道」と呼ばれる菅田から袋坂峠を抜けて美濃加茂
または関方面へ向かう道が奈良の都へ向かう道だったのでしょう。
続いてかなり時代は下がり、延喜式(927年)では、飛騨支道は美濃の方県駅-武義駅
(今の関市関)-加茂駅(今の下麻生か中川辺のあたり)-下留駅-上留駅-石浦駅となっています。
この場合、菅田を通らず今の益田街道、飛騨川沿いに上り白川口か下油井から加子母・竹原方面へ
抜けるルートが地形から見ても妥当で、何故ここが変わったのかは良くわかりません。
(11/11追記・・・上麻生から菅田へ抜ける道がありますね。こっちを通ったのかな。)
当時は三十里-六十里(今の17-35km位)にひとつの駅を作るように指示が出たそうですが、
加茂駅-下留駅間の距離を見ても分かるように、地形的な制約が相当大きいものです。
で、上呂から位山峠を越えて(よくこの道は大変だと言われますが、当時の道路事情からすると
そんなにキツイ道とは思えません。地形を考えれば当然ここに道が出来るようなルートで、
はるか後、金森時代に久々野<>小坂間の道を大規模改修したことで、はじめてこちらが主要道に
なったほどの道です。)「石浦駅」へもほどほどの距離になるのですが、問題はこの「石浦駅」。
飛鳥時代に今の高山市国府に飛騨国府があった時代ならいざしらず、飛騨国分寺が高山市街に
建立されてからは、石浦駅があったとされる高山市石浦町からは目と鼻の先。
長い旅の末にここまで来たら、もう高山の街に入ったほうがどれほど楽かと思います。
下手をしたら、当時は石浦町から国分寺の七重の塔が見えたのではないでしょうか?
私見では、「石浦駅」は今の高山市宮にあったように思われます。上留駅から谷間をずっと来て
位山を仰ぎ、刈安峠から下に拡がる盆地を見たとき、ここで休憩しようと思うのですが。
水無神社、宮川の伏流水による「鬼河原」など、この地を「石ウレ」と呼ぶにふさわしい条件が
揃っているように思われます。何故その下流が「石浦」になったのかはさておき。
2008年11月02日
EMERGENCY!

以前も当ブログで取り上げましたが>こちら 東京都並みに広い飛騨の緊急医療、
医療崩壊とも言われる現状では大変不安を抱えている状態なのですが、
先日の東京のど真ん中での妊婦受け入れ拒否事件を機に、ようやく自治体を超えた
対策がなされようとしているようです。
それにしても、下呂市は大丈夫なのかな?美濃方面へ行ったほうが早いのでしょうか。
私もまだ小さい子供を抱える身、子供が夜間などに痛いと言い出したり、高熱を出したとかいう時の
親の心配についてはよく判ります。入院にならなくても、「お医者さんに診てもらって」処方をしてもらう
だけでも、親としてはホッとするものです。医者から見れば軽症なのかもしれませんが・・・
それだけに、お互いを考えたこういった形で小児救急に対応するということは朗報ですし
他の救急重症例への処置についても、これまでよりスムーズに行えるようになりそうです。
(高山)小児夜間診療室を設置 今月から久美愛厚生病院に毎週金曜
高山市大新町の久美愛厚生病院に11月から毎週金曜日午後8時~同10時、「小児夜間初期救急診療支援室」が設けられることになった。市役所で31日、運営主体の同市、飛騨市、白川村の首長と同病院の堀明洋院長、高山市医師会の加藤邦二会長が協定を締結した=写真=。
診療対象は2市1村に在住の15歳以下の子供で、入院を必要としない軽症患者。診療は、同医師会の小児科医または内科医が行う。
支援室開設の背景には、重症患者を主に治療する救命救急センター(高山赤十字病院)に軽症患者が殺到し、医師の負担が増えていることがある。
高山市によると、救命救急センターで診察を受けた患者は昨年度で約1万5000人。うち85%は入院を必要としない軽症患者だった。また、市は小児医療の無料化を実施しており、患者総数のほぼ3分の1を9歳以下の子供が占めているという。2市1村は年間計300万円を負担する。初回は11月7日。金曜日が祝日か年末年始になった場合は開設しない。
2008年11月1日 読売新聞
また、こういった集会もあるというニュースを知りました。
「飛騨地域医療を考える会」(大下大圓代表)が1日、医師不足や救急医療などをテーマに地域医療を考える集い「飛騨の医療は今!」を高山市役所市民ホールで開いた。
行政、医療関係者、市民ら約200人が参加。▽久美愛厚生病院(高山市)の堀明洋院長▽高山赤十字病院(同)の棚橋忍院長▽高山厚生病院(同)の市江良康院長▽飛騨市民病院の黒木嘉人院長(飛騨市)--の4院長がパネリストとなった。
棚橋院長は救急体制、小児救急の現状と、医師や看護師の過重労働の実態を説明し、「救急医療への国や住民の支援が大切」などと訴えた。また黒木院長は「医学部卒業後の研修病院が任意で選択できるようになり、大学病院に来る研修医が激減したため、大学病院が地域の病院から派遣医師を引き揚げるようになった」などと、医師不足の要因を説明した。
「飛騨地域医療を考える会」は、飛騨地域での緩和ケア病棟の実現を目指して活動する「飛騨にホスピスをつくる会」の有志が、「飛騨地域の医療そのものを考えて行こう」と発足させた。
毎日新聞 2008年11月2日
医者が過重労働で辞めていくような現状も、何とか打破しなければいけません。
大下大圓氏は、千光寺の住職さんとしておなじみの方ですね。
2008年10月28日
Go WEST!!
夏には飛騨の山間部でよくヒラヒラ飛んでいるのを見かける蝶「アサギマダラ」。
この蝶は「渡り」をすることで知られていますが、一ヶ月で800kmも飛ぶとは驚き。
一日平均30kmくらい(もちろん雨の日は飛べないので・・・)は軽く移動するんですね。
しかも西から東なので、偏西風や雲の向きとは逆方向。昆虫の凄さに驚きです。
来年の夏、明るい段だら模様の大きな蝶を山で見かけたら、コイツです!
アサギマダラ、ひらひら840キロ 9月に高山で放ち長崎で捕獲
9月7日に高山市高根町日和田で放された渡りをするチョウ「アサギマダラ」が今月9日、約840キロ離れた長崎県新上五島町で捕獲された。9月に飛騨地方で放されたアサギマダラは兵庫県や高知県などで相次いで捕獲されている。
「乗鞍岳と飛騨の自然を考える会」(高山市)は9月7日、同市高根町日和田でアサギマダラに印を付けて放す「マーキング会」をし、同市内の親子ら35人が97匹に名前、日付、場所などを書いて放した。
今月9日、長崎県新上五島町の山中でアサギマダラを捕獲。マーキングから日和田で放したチョウと判明した。
下呂市の男性が9月23日に同市内で放したアサギマダラも、今月7日に兵庫県宝塚市で、15日には高知県香美市で相次ぎ捕獲された。日和田の別のチョウも、9月14日に福井県大野市で捕獲されている。
2008年10月24日 中日新聞
この蝶は「渡り」をすることで知られていますが、一ヶ月で800kmも飛ぶとは驚き。
一日平均30kmくらい(もちろん雨の日は飛べないので・・・)は軽く移動するんですね。
しかも西から東なので、偏西風や雲の向きとは逆方向。昆虫の凄さに驚きです。
来年の夏、明るい段だら模様の大きな蝶を山で見かけたら、コイツです!
アサギマダラ、ひらひら840キロ 9月に高山で放ち長崎で捕獲
9月7日に高山市高根町日和田で放された渡りをするチョウ「アサギマダラ」が今月9日、約840キロ離れた長崎県新上五島町で捕獲された。9月に飛騨地方で放されたアサギマダラは兵庫県や高知県などで相次いで捕獲されている。
「乗鞍岳と飛騨の自然を考える会」(高山市)は9月7日、同市高根町日和田でアサギマダラに印を付けて放す「マーキング会」をし、同市内の親子ら35人が97匹に名前、日付、場所などを書いて放した。
今月9日、長崎県新上五島町の山中でアサギマダラを捕獲。マーキングから日和田で放したチョウと判明した。
下呂市の男性が9月23日に同市内で放したアサギマダラも、今月7日に兵庫県宝塚市で、15日には高知県香美市で相次ぎ捕獲された。日和田の別のチョウも、9月14日に福井県大野市で捕獲されている。
2008年10月24日 中日新聞
2008年10月15日
もっと、地産地消を!

先日は「事故米」による焼酎の風評被害が話題になっていましたが、寒冷で水の良い飛騨では
やはり清酒が適しているため、今も飛騨に多くの蔵元が営業を行っています。
がしかし、「日本酒離れ」は次第に進んでいるようで、私(1960年代のどこか生まれ)から上の世代は
よく日本酒を飲んでいたように思いますが、ちょうど下の世代あたりから、日本酒を飲むという事が
少なくなっているという感じがします。
以前、旅行に行った新潟県の温泉宿で、夕食に「試飲セット」という名で、地域の各酒造会社の
お酒を数銘柄並べられ、かんたんに「利き酒」を楽しむ事が出来ました。こんな感じのことを
酒造会社と旅館が共同戦線を組んで行ってみては、どうでしょうかね?
また、飛騨の各酒造会社さんも良いお酒を造る努力を続けています。コンテストでの入賞作などは
(醸造量が少ないため、なかなか出回らないので宣伝は痛し痒し・・・ということなんだそうです)
もっと知ってもらえないものでしょうか。恒例の「冬の蔵元めぐり」は観光客には好評なので、
もっともっと飲んでもらえる、知ってもらえる機会を酒造組合が足並み揃えて作ってほしいものです。
私の好みの飛騨のお酒はというと・・・ここでは差しさわり?があるので公言は控えます。
でも、どれもいい味ですよ! あとは個人の好みの問題だけです。
もうすぐ新米から、新酒醸造の季節。来年には新しい酒が、また醸し出されます。
飛騨の酒蔵13軒が試行錯誤 海外でPR、地元の需要拡大…
飛騨地方の酒蔵13軒でつくる飛騨酒造組合が8月「飛騨の酒」を地域団体商標に登録した。焼酎に押されていた酒の消費巻き返しへ、各酒蔵は海外でのPRや地元での需要掘り起こしなど、さまざまな試行錯誤を続けている。
下呂市の天領酒造は11月にもロシア・サンクトペテルブルクで販売を始める。今年、モスクワであった酒類品評会で金賞を取ったのがきっかけ。日本食ブームに乗った需要を期待する。
同社は4年前から、日本航空の国際線のエグゼクティブクラスで9-2月、商品を提供するなど、海外PRに努めてきた。ただ、上野田隆平社長(54)は「販売拠点はあくまで地元」と強調。「いかに下呂の人に飲んでもらうかが課題。観光客は地元の人が飲む酒に興味がある。地元で人気が出れば、観光客にも売れる」と言う。
高山市の平瀬酒造店は、昨年から始まった英国・ロンドンでのコンテストの日本酒部門に2年連続出品。純米吟醸酒「久寿玉 まるいちや」が昨年の銀に続き銅メダルを獲得。同市の原田酒造場と、川尻酒造場もそれぞれ銅メダルを得た。平瀬酒造店は9月、中国・香港での試飲会にも出品している。
国内有数の酒どころ飛騨でも日本酒離れは深刻。どの酒蔵も地元の需要掘り起こしに力を入れる。原田酒造場の原田克之社長(39)は「日本酒に抵抗感がある人が多いので、飲みやすい商品を開発。試飲イベントなどで売り込みたい」と話す。
日本酒へのハードルを低くしようと、飛騨市古川町の渡辺酒造店は、飲んだ人の感想を新聞の折り込み広告に載せている。「ストーリー性」を重視し、酒蔵での接客用に出していた特製品を「蔵元の隠し酒」として販売するなど、付加価値の高い商品展開に知恵を絞る。
【日本酒消費量】1975年度の174万7000キロリットルをピークに減少し、2006年度は70万1000キロリットル。焼酎ブームは収まりつつあるが、依然として厳しい状況が続く。
2008年10月15日 中日新聞
2008年10月02日
長瀬旅館が・・・

前の記事で「急がないこと・・・」と書いた矢先のこのニュース。
Yahoo!のヘッドラインにも出たので、多くの人が見たはずです。
長瀬旅館:250年の歴史に幕 後継者なく 岐阜・高山
放浪の歌人・若山牧水や、野口雨情、徳富蘇峰ら多くの文人が訪れた
岐阜県高山市の「長瀬旅館」=長瀬雅子社長(47)=が11月末、老朽化と後継者がいないことから、約250年の歴史に幕を閉じる。
国の伝統的建造物群保存地区にある旅館は、日本情緒を求める外国人を引き寄せ、
最近では宿泊客の90%を欧米人が占めていた。
1700年ごろ造り酒屋として創業し、1754(宝暦4)年に旅館になった。
敷地面積約2000平方メートル、木造2階建てで、8~20畳の客室が1階に9室、2階に2室ある。
1階には滝とせせらぎ、樹木を配した日本庭園が六つ造られ、
すべての客室から四季折々の庭が眺められる。
著名人が多く訪れ、作家では井上靖や田辺聖子、田中澄江らが投宿。
俳人の山口誓子、建築家のブルーノ・タウト(ドイツ)、エベレスト登頂に成功したヒラリー卿(イギリス)ら
も宿泊した。
1921(大正10)年9月18日に訪れた若山牧水は「高山では某(長瀬旅館)という旅館が一等いいと云(い)う話を聞いていたので、とぼとぼとその門口へ辿(たど)りついて一泊を頼んだ」と記した。
11代目当主の雅子さんによると、3年前に10代目の父桂一さんが急死し、
その後は祖母と母純子さん(73)とともに旅館を切り回してきた。
しかし、今年6月に純子さんが体調を崩してしまった。後継者がおらず、建物も老朽化が目立つように
なり、旅館を維持していくことが難しくなったという。
黒字経営で無借金だっただけに、雅子さんは「断腸の思いで選択した」と話す。
建物は国の伝統的建造物群保存地区にあるため、そのまま残す。
雅子さんは「私の子ども時代、高山にはまだ広いスペースの建物がなかったので
『長瀬会館』と呼ばれ、ダンスパーティーなど多くの催しが行われた」と往時を懐かしんだ。
2008年10月2日 毎日新聞 この記事が内容が一番詳しかったのですが
現社長・長瀬雅子氏の写真の入った記事が読売オンラインに出ています。
しかし、これは残念であり、大きな痛手ですね・・・
欧米の観光客に、特に人気のあった和風旅館だけに、残念です。
例えばこのサイトやこのサイトなど見ると分かりますが、海外でも大変評価の高い日本の宿なんですよ。
リンク先の「高山のホテル・旅館」一覧はこちら。
幸い先日の老田酒造などと違い、建物は保存されるとの事ですが、外国人観光客に人気の宿が
なくなるのは残念です。
画像にもある「中庭の借景」に「日本の文化」を感じる方が非常に多い、と以前聞きましたが
こちらも今後見られなくなってしまうんでしょうかね・・・
2008年10月01日
Haste makes waste.(急いては事を仕損じる)

今日から10月、秋の高山祭ももうすぐです。
今年の夏に帰郷して、気の置けない友人との飲み会、高山市街地の中心部に集まった時・・・
「街中を見た?今は外国人の観光客がすごく多くなってきたんだよ」と言われました。
確かにその通りで、道を歩きながら聞き耳を立てれば、英語・韓国語・中国語はもう当たり前。
こちらの記事によると、2006-2007年で外国人観光客は23%増加、今年2008年も
恐らく同じようなペースで増加しているのでしょう。とすると、わずか2年で1.5倍以上に・・・
高山市の公式サイトには、なんと11ヶ国語での紹介が(まだまだ不十分ですが)されています。
ミシュランガイドで3つ星観光地に選ばれた事が影響してるのは間違いありませんが、
ゆっくりしたペースでは有りますが徐々に外国人観光客への対応をしているようですね。
残念ながら世界遺産推薦候補からは外れてしまいましたが、それでかえって良かったのかも。
高山には、性急な事は似合いませんし、そもそも土地柄にも合わないと思います。
しっかり外国人観光客対応への「実力」を養っていってからでも遅くはありません。
今のペースでさえ、客の増加に追いついているようには見えないのですから・・・
高山の学校では「観光客とコミュニケーションをとるための外国語の言い回し」くらい
覚えさせてもいいんじゃないでしょうか。かく言う私も、これまで何度か外国人観光客に
道を尋ねられたり、祭りの事で聞かれたりしています。(主に中学高校の頃ですよ!!)
「国際的な観光都市」としての特色ある教育も、いいんじゃないでしょうか?
例えば祭の屋台。周りの飾りに手を伸ばそうものなら「見張り役」からやんわりとたしなめられる。
日本では、ガイド誌などにも随分この事が紹介されたりしてきたので、
かなりの観光客の方が手を出さなくなってきたように思いますが、
外国人観光客はそのような認識はあまり無い、と思った上での事前手配が必要でしょう。
マルチリンガルでの警告板を作って、屋台前に建てるとか。
とりあえず23個作れば済むわけですから、こんなことくらいは市が費用を出しても良さそうですね。
(でも、これは急いだ方が良さそうかも・・・)
そういえば、私たちの頃は中学生の外出は「体育用のジャージ」でもかまいません、という事に
なっていましたが、あれって外国人観光客が不思議がって(気味悪がって?)高山市に質問した
ことで、ジャージで歩き回るな、という事になったんだそうですね。
2008年09月29日
山ぶどうの栽培

飛騨の山中で生まれた祖母に小さい頃から連れて行かれたので、
春の山菜、秋の「こけ(キノコ)」などは、難しいものでなければ一通り採る事が出来ます。
今の時期は、東京から帰って「もたせ」や「たいこのばち」を採りに行きたくなって
ウズウズすることも(笑
秋の山の味覚の代表は「こけ」ですが、もう木々の葉も落ち始める10月になると山では時々、
美しく赤・黄色に色づいた大きな葉っぱとともに、紫色のヤマブドウの実を見かける事があります。
私も2,3度ほど、この実を食べたことが有りますが、同じ場所でも年によっては全く出来ないとか
出来ても食べられないとか不安定なもので、次の年はまた収穫できるようなものではないため、
なかなか良い実にはめぐり合えません。
また、深山の場合は、これは熊の大好物なのでバッタリ出くわさないように・・・
という注意を皆必ずされていますので、奥の方へはビビッて入れない事も多くあります。
15年ほど前、親戚の人が簡単な瓶詰めのジュースをくれた事があります。その時、確か知り合いが
栽培をしてて分けてもらったとか聞いた記憶があるのですが、もしかしてココの産のものだったかも・・・
その山ブドウのジュースは、一般のぶどうジュースより少し「山の味」がしたと記憶しています。
でもおいしいんだ、これが。
それにしても、写真のヤマブドウ!栽培種並みの大きさと実の多さですね
ここまで出来るものなのかぁ~
飛騨地域の特産品「山ぶどうワイン 飛騨」の原料となるヤマブドウの収穫が27日、高山市内の農家で始まった。
ヤマブドウは、11人の農家でつくる「飛騨山ぶどう研究会」が栽培。20年前に農家や県中山間農業研究所、JAひだなどが連携し、飛騨地域に自生するヤマブドウから優良種を選んで栽培が始まった。今年は、会員それぞれのブドウ畑から計6トンほどの収穫を見込んでいる。
同市山口町の桝田稔さん(79)の畑では、この日朝から収穫作業が行われ、桝田さんらがたわわに実ったヤマブドウを丁寧にもいでいた。桝田さんは「今年も生育は順調。消毒など薬を使う回数をできるだけ減らして育てている。ヤマブドウ本来の自然な甘酸っぱさを楽しんでほしい」と話していた。
岐阜新聞Web 2008年9月28日
2008年09月22日
下呂のトイレでうどん

うを、初めて同じ日に2エントリ書きます。それも、この記事が衝撃的だったので・・・
飛騨の人が東京へ出ると、大抵一度はこの話につき合わされます
それが「下呂」の話。
飛騨では「ゲボ」または「ゲーゲー」ですが、関東(標準語)では「ゲロ」のため
「下呂」の名前の付く食べ物やお土産は、関東人にとっては一瞬「引く」ものになります。
当の下呂の人も、それを分かった上で半ば確信犯?で出してるお土産とかありますよね。
「下呂の香り」「下呂自慢」「下呂牛乳(ホントは美味しいよ!)」などなど・・・
さて今回の記事。
新築のトイレでうどん 地元の風習で完成祝う、JR下呂駅前
新設されたトイレの中でうどんを食べる関係者ら=下呂市幸田のJR下呂駅前で
下呂市幸田のJR高山線下呂駅前に公衆トイレが新設され、21日に記念式典があった。観光関係者らが地元の風習にちなんで、トイレの中でうどんを食べて完成を祝った。
昔はトイレが離れにある家が多く、冬は脳卒中などを起こす人も少なくなかった。このため、新築の際にうどんをすすって温まり、健康を願う珍しい風習が市内に残っている。
式典ではテープカットに続き、野村誠市長や伊東祐下呂温泉観光協会長らが中に入り、地元の米・龍(りゅう)の瞳(ひとみ)で作ったうどんを味わった。
トイレは観光案内所の横に設けられ、総工費は1218万円。これまでは改札を通らずに下呂駅構内のトイレを利用できたが、JR東海が無賃乗車の防止などを理由に方針を転換。同市が6月に工事を始めていた。
2008年9月22日 中日新聞
ええぇ?? 私も飛騨の風俗・民俗を多少は勉強したと思いますが
このような習慣があることは、ついぞ聞いた事がありませんでした。
確か「風呂」を作る時は、うどん食べるという話聞きましたが・・・
(同様の習慣が、うどんの本場・讃岐地方にあります)
どなたか「俺それ知ってる」とか「ウチでやったことある」という方いらっしゃったら、
ぜひ!
その地区名を明記の上、コメントお待ちしています!!
2008年09月22日
金蔵獅子

金蔵獅子(きんぞうじし)は、飛騨の各地で春または秋に行われる奉納獅子舞芸です。
最も有名なのは、旧国府町(高山市国府町)で行われるもので、県の無形文化財に指定されています。
秋のほうは、毎年9月第3日曜日に上広瀬の加茂神社・諏訪神社境内で行われます。
ストーリーは、各地区によって多少異なりますが、おおよそ次のようなもの。
1)山から降りてきた獅子が、田畑を荒らしたり人に悪さをする。
#飛騨の場合は猪(北飛騨にはいない)か猿・熊ですよね。それを獅子に託したのでしょう。
2)勇敢な若者「金蔵」が獅子を退治しようとするが、一旦は返り討ちに会い、やられる
3)金蔵に好意を持つ娘が何かをすると、それで獅子の弱点が分かる
4)それを期に金蔵は勢いを盛り返し、ついには獅子を懲らしめてやっつける。
地区によっては、女性の出てこないものもあり、その場合は3)はありません。
このストーリーが、かなりコミカルに描かれます。
春の5月にも行われます。もしどこかで出会ったら、このストーリーを思い出した上で
見て頂くと、一層面白くご覧いただけますよ。歌舞伎や能なども、ストーリーを知ってて見るのと
そうでないのでは、理解度が大違いですよね。
迫力の「金蔵獅子」奉納 高山の加茂神社など
例祭で奉納される県無形民俗文化財の金蔵獅子=高山市国府町で
高山市国府町上広瀬の加茂神社と諏訪神社で21日、例祭が営まれ、江戸時代から続く県無形民俗文化財の「金蔵獅子」の奉納があった。
金蔵獅子は、田畑を荒らし回るどう猛な獅子を金蔵がおかめという名の乙女とともに退治する物語。五穀豊穣(ほうじょう)と家内円満を願う。
氏子でつくる「神道振興会」が奉納。太鼓やすりがねの演奏に合わせて、てんぐの面をかぶった金蔵が剣に見立てた短棒を振り回し、獅子に飛び乗って打ち取る迫力あふれる演技に、観衆から拍手が沸いていた。
2008年9月22日 中日新聞
2008年09月14日
飛騨百山

ふるさとの山に向ひて 言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
石川啄木 「一握の砂」より抜粋
飛騨に育ち、東京に出てきた自分にとっては、
この詩は物凄く共感できます。
遥か関東の山の頂きから、北アルプスの峰が
ちらと見えた時・・・
「あの向こうは、飛騨の国なのだ」と
想わずにはいられません。
お正月、まだ新宿からの路線バスがなかった頃の話。
名古屋の駅が近づくと、天気の良い年末には
右側に白い山が見える事があります。
それは雪を頂いた御嶽山。木曽川の鉄橋を渡る頃、
それは斜め前に見えていました。
今、高速バスに乗ると、塩尻からの下り、すこしだけ穂高岳や乗鞍岳が見えます。
まだバスの旅はここからが本番なのですが、何かほっとした気持ちが広がる一瞬です。
そして平湯バスターミナルで休憩する時、天気が良ければ必ず北に目をやります。
美しい笠ヶ岳が見えると、「ああ、ここは飛騨なのだな」という気持ちになります。
その後、もう十数年前ですか、「飛騨の山々」という本を入手しました。
この本が、それまでアルプス以外は山ではないと思っていた考えを変えてくれた本です。
神岡の大洞山と二十五山。古川の安峰山。高山の松倉山や源氏ヶ岳。久々野の日ノ観ヶ岳や高屹山
萩原の仏ヶ尾山、下呂の湯ヶ峰。今まで意識しなかった、実はいつも見ている飛騨の山たちが
急に身近に感じられるようになりました。
その他にも、あの山、この山・・・飛騨の至る所にある、山たち。彼女達(山は欧米では女性名詞)が
急に目に飛び込むようになって来ました。
爾来、飛騨へ帰る途中、帰ってきてから、周りの山々を見るのが楽しみになりました。
「ここにして飛騨こそ真の山の国という感が深かった。」
とは、「日本百名山」で深田久弥が乗鞍岳に登頂して、
飛騨の十重二十重の山並みを見たときの感想です。
飛騨山岳会:創立100周年記念 「ふるさとの山 飛騨百山」を出版 /岐阜
◇山の魅力と感動を
社会人の山岳会として国内で最も長い歴史を持つ飛騨山岳会(木下喜代男会長、会員98人)が今年、創立100周年を迎えたのを記念し、「ふるさとの山 飛騨百山」(A4判、194ページ)を出版した。ガイドブックにはない山の魅力と感動を3年の歳月をかけて編集した岳人たちの熱いメッセージが伝わってくる。
面積の92%が山岳地帯という飛騨地方には約380の山々がある。会は山々を▽標高2500メートル以上の槍ケ岳や穂高連峰などの「飛騨山脈(北アルプス)」▽白山や別山などの「両白山地」▽御嶽山や白草山などの「御嶽と南飛騨」--など5ブロックに分類。会員24人がそれぞれ、思い入れが深い山を選び、3000メートル級の名山から日常生活の場にしている低山まで100山を分担して執筆した。
「我が心の、人生の山」のサブタイトルで北ノ俣岳(標高2661・2メートル)を紹介した保谷昇さん(58)は、18歳で初めて登った感動がいまも鮮明に心に残っているといい、「あの時、北ノ俣に登っていなかったらいまの私の山(行)はない」などとつづっている。
また、高山市民憩いの場となっている城山や、下呂市の御前ケ岳(標高663・7メートル)などの低山を紹介。高山植物をはじめ、厳冬の笠ケ岳、飛騨側からの穂高岳などと題した写真を、山岳写真家として知られる小池潜さんらが提供している。版画作家、松見ひろ子さんも挿画で彩りを添えた。
「ふるさとの山 飛騨百山」は1575円で、2000部を製作した。高山市内の書店で販売しているほか、飛騨山岳会のホームページでもネット販売している。
2008年9月13日 毎日.jp地方版
2008年08月29日
Dark Matter

昨日は、高山でも72mmの猛烈な雨が降ったとニュースで報じていました。
8月下旬の豪雨、というと昔の「飛騨川バス転落事故」が思い出されます。
この時期の飛騨地区、雨による土砂災害には十分ご注意を。
さて今回は、豪雨でもほとんど関係のない、山の地中奥深くのお話。
天文物理学の世界ではすっかり有名になった「カミオカンデ」は、以前のエントリでも取り上げましたが
あちらは「ニュートリノ」を観測する施設。それに加えて、今度の新しい施設が観測するのが
現在、暗黒物質(ダーク・マター)といわれているものです。
今では常識となった「宇宙は膨張している」という、いわゆる「ハッブル理論」
この「膨張している宇宙」が成り立つためには、宇宙の中にはある程度の物質の質量がある、
という計算が(詳しいことはとっても難しいのですが)確実な数式によって導かれます。
ところが、現在観測されている銀河・星雲・星その他の質量を全部足したとしても、
その計算値には全然届きません。計算による理論値の1/10程度なんだそうです。
で、この矛盾を説明するために考え出されたのが「ダークマター理論」です。
簡単に言えば「宇宙には、目にも見えず観測も出来ていない物質が大量にある。だから観測値が
少なくても、計算は合うのだ」という、一見強引な理論です。
実はある時期、「ニュートリノがダークマターでは?」という疑問が出ていました。
発見された当時は「質量が無い=他の物質とぶつかったりして反応しない」といわれていた
ニュートリノ。しかし、それを観測するカミオカンデのデータから「ごくわずかではあるが質量を持つ」
事が確認されたのです。これもカミオカンデの残した大きな業績なんですね。
ところが、これで一件落着・・・とはならず。データから出たニュートリノの質量では、
まだほとんどのダークマターをこれだけで説明できない、つまり「ニュートリノだけでは足りない」
事も判明しました。(これまで考えられていたダークマター総質量の1割程度だそうです)
さあ、そこで「残りのダークマター探し」が始まったわけです。
そのための新施設・・・確か以前は「ハイパーカミオカンデ」と名乗るとかいう話も聞いたように思いますが
またもこの施設で新たな画期的発見がなされ、"KAMIOKA"の名前が天文学や物理学の世界に
残っていくといいですね。
世界初の発見目指す 「暗黒物質」解明へ意欲
観測施設、来夏から本格運用
暗黒物質の世界初の検出を目指して意欲を燃やす鈴木洋一郎教授
東京大学宇宙線研究所・神岡宇宙素粒子研究施設(飛騨市神岡町)は27日、宇宙に漂う正体不明の物質「暗黒物質(ダークマター)」の解明を目指す観測施設「XMASS(エックスマス)」に使われる神岡鉱山跡の空洞を報道陣に公開した。来年夏から本格運用を始め、世界初の発見を目指す。
暗黒物質は、宇宙ができた直後にでき、宇宙に存在する全物質の80%を占めると言われる。しかし、光も電磁波も出さないため観測が難しく、詳しい性質は分かっていない。
この分野は世界でも最先端の研究で、神岡町の神岡鉱山跡にある地下1000メートルのスーパーカミオカンデ近くに、新たに巨大な空洞(奥行き20メートル、高さ、横とも15メートル)を設けた。
今後、暗黒物質の検出器となる光電子倍増管約650本を入れ、中を液体キセノンで満たした球状の観測装置(直径80センチ)を取り付ける。この装置は、暗黒物質がキセノンの原子核と反応した際に発する光を検出する。検出できる感度はスーパーカミオカンデの1000倍にもなる。
世界に先駆けて観測できれば、スーパーカミオカンデでの研究とともにノーベル賞級となる。
同研究施設長で、グループをまとめる鈴木洋一郎・東大教授(58)(宇宙素粒子物理学)は「世界で競争が激しくなっている分野なので、早く検出したい」と意欲を燃やしている。
(2008年8月28日 読売新聞)
2008年08月21日
謎の白骨死体

帰郷して間もない高山で怪奇事件が・・・
しかもウチの近くだし

どうやら男性のようなのですが、一体彼は何者なのか?この家に何があったのでしょうか?
捜査で真相が判明する日は?。。。。。
岐阜・高山の廃屋押し入れに白骨遺体、死後数年経過?
20日午後5時50分ごろ、岐阜県高山市神明町の木造平屋建て廃屋の押し入れに白骨化した遺体があるのを、近くに住む女性(44)が見つけ、高山署に通報した。
発表によると、遺体は押し入れに敷かれた布団に横たわっていた。1メートル70~85の男性とみられ、パジャマのような上着を着ており、近くにはジャンパーや野球帽などの衣類があった。
遺体の状況から死後数年経過しているとみられ、同署で死因や身元などを調べている。
この家は25年前から空き家となっており、近所の子供たちの間で「白骨死体がある」といううわさが広がっていたため、子供から話を聞いた女性が見に行って、遺体を発見した。
(2008年8月21日13時14分 読売新聞)
2008年07月24日
トンネル効果

全線開通日に書いた「日本一のパーキングエリア?」ですが
そこに設置されたETCスマートICの利用結果がこちらの記事。
降りてから古川の街並みまで、あの道を通るのかよといったインフラ未整備状態なのに
事前の予想が甘すぎますよ、ということもありますが、富山方面しか利用できないという形態、
二輪車の利用不可など「余計なお世話的制限の多さ」のためでもあります。
飛騨の観光資源は、北アルプスと奥飛騨温泉、高山市街に、ええとあと古川?としか未だに思ってない
(特に地元一筋の)お方が多すぎます。
例えば今は、「花」や「自然」で日帰り客を呼び込もうとする自治体が大変多いのですが
飛騨では地元民が見慣れているせいか?そういうことをちっともやりません。
こういう特産品をもっと活かせばいいのに・・・房総の花摘み体験なんて東京では人気のツアー。
今までは、交通の便の悪さがかえって幸いし、外部から来る場合必ず宿泊場所を必要としたために、
それが可能な場所だけがお客様を呼び込めました。しかし、これからは違います。
しかしこれからは「トンネル効果」が出てきます。奥飛騨温泉郷は、安房トンネルのトンネル効果で
それを十分(プラスの方向で)味わいましたが、今度はマイナスに働く部分も出てきます。
例えばこちらの記事、「氷見の海鮮館、入場者急増」
既に金沢から能登半島は、飛騨から日帰り圏に入りました。
例えば和倉温泉に泊まり、日帰りで白川郷>高山>金沢と回って戻ってくる。こんなツアーが組めます。
何も白川郷や高山に泊まる必要はありません。和倉温泉のグレードの高さは、飛騨の人なら
大抵知っているはずです。
白川郷などは、モロに「日帰り・チョイ見スポット」になるのです。それは高山にも影響し、
古川などには相当な影響を及ぼすでしょう。
今後は、日帰りで楽しめるスポットや施設の充実も必要になるでしょう。泊まっていただけないのなら
そういう場所で、いかにお金を使っていただけるかを考えなければならないと思います。
高山の古い街並みなどは、まだ大丈夫だと思いますが・・・
飛騨河合スマートICも、地域なんたらだけの理由ではなくて、
名古屋圏からのお客様に来て頂けるようなことをして、アピールをした上で、
早く名古屋方面からの出入りを可能にした方がいいですよ~~~
折角あのすごい猪臥山トンネル掘ったのに、相変わらずトンネル出てから古川の町まで
ひっどい道だし・・・今時の都会人はナビや地図にグネグネ道があると敬遠するんですよ。
2008年06月20日
飛騨とYouTube

今やすっかり日本でもおなじみになった「ユーチューブ」。
これを使った、飛騨市の観光誘致の試みが始まったようです。
「飛騨高山」がミシュラン三ツ星観光地に認定されるほどの知名度を海外でも持っていますが、
飛騨市は「高山」では売り込めない分難しい。
こんな形での告知、なかなか面白いと思います。(コストは大変低いです)
詳しいことはこちらでどうぞ。
飛騨の匠や祭、原風景の映像をYoutubeで発信
岐阜県・飛騨市観光協会は、住民や観光客が撮影した動画や写真コンテンツを同協会が運営するホームページ上で公開し、動画投稿サイト「YouTube」および写真投稿サイト「flickr」を利用して発信するサービスを開始した。
本サービスにより、飛騨市の地元住民はもちろん、訪れた観光客など様々な視点で撮影された映像がホームページ上で公開される。また、「YouTube」や「flickr」上で飛騨の匠や祭、原風景の動画・写真を見た世界中のユーザーが飛騨市に関心を持ち、海外からの観光客の増加に繋がることも期待される。
このほか、古川祭などのイベント行事を利用してフォト/ムービーコンテストを実施するなど、サービスを活性化する活動も併せて展開していく。
飛騨市観光協会は「世界に通じる飛騨市を目指して」というスローガンを掲げ、平成19年4月に設立された。今回の取り組みを機に、現在数百人程度の訪日外国人宿泊者数を2015年には1万人とすることを目指している。
参照:http://www.value-press.com/pressrelease.php?article_id=26038
2008年6月19日 TechInsight Japan
2008年06月16日
Buono Buono!
多忙と体調不良が重なり、随分と間隔があいてしまいました。さて、今回は「ピザ」の話。
3年くらい前でしょうかね?
私の高山の実家から程近い場所に、
高山初の、本格的な薪ピザ窯使用の
ピッツェリアが出来た、という話を聞いたのは。
それが上川原町にある「ヒラノグラーノ」さん。
北イタリア風のさらっとした食感の
本格的なピッツァを出すお店、
東京ではいくつかの有名店もありますが、
高山のこんな場所に!と驚きました。
ヒラノグラーノさんの情報はこちらで。
飛騨のニュースの中に、ヒラノグラーノの店主さんの名がひょっこり出てきたので気になりました。
今年のお盆に帰ったときは、食べに行こうかな・・・
山之村小中学校の生徒さんも、おいしいピザを食べてるのかな?
さすがに梅雨時には多少なりともじめじめしますが、それでも海沿いの東京や大阪などに比べたら
ずっと爽やかな飛騨の気候は、アルプスの麓・北イタリアと似ているような気もします。
ピザ窯:地産地消、食育に 校長が手作り--飛騨・山之村小中学校 /岐阜
本格的なピザ窯が、飛騨市神岡町郊外の市立山之村小中学校玄関脇に作られ、子どもたちが地産地消や食について学ぶ機会になっている。窯は、設計から施工まですべて田中正彰校長(54)による手作りだ。総合的な学習の時間や地域の人々を交えた学校行事などで、地元産の農作物や山菜を材料にしたピザ作りに活躍している。
山之村小中学校は標高約1000メートルにあり、児童生徒合わせてわずか15人の小規模校だ。冬は1メートルを超す深い雪に閉ざされる。昨春赴任した田中校長は、地域の人たちに支えられて明るく伸び伸び育つ子どもたちの姿に感動。地域の特徴である豊富な農作物による食育にスポットを当てたモノづくりに挑戦しようと、窯の製作を思いついたという。
田中校長は美術が専門で、こうした作業は得意。今年2月中旬から本を参考にして独自で窯を設計し、屋根がある玄関わきに窯を築いた。左官道具は同校卒業生の地元の工務店社長が貸してくれた。
レンガを積み上げた炉(高さ約1メートル、幅1・8メートル)の上部に、やはりレンガで直径1メートル、半径約35センチの半円形のピザ焼きスペースをこしらえた。約450度の炉熱で、大きなピザが2枚焼ける。レンガには子どもたちの名前が書かれている。
3月中旬の窯開きで初めてピザを焼いた時は、田中校長の教え子で高山市内でピザ専門店を営む平野大輔さん(40)が指導に駆けつけた。田中校長は「今後は、学習畑で栽培した野菜を食材にして、食に関する知識を学ばせたい」と話している。
毎日新聞 2008年6月14日 地方版
2008年06月02日
下界への道?(これもロード 第二章)

高山からは東西南北、四方へ他地域への道路が伸びていますが、30年-40年ほど前までは
車の通行でさえ注意を要するような道ばかりでした。国道41号線の数河峠越えができたのが
約40年前、それまでは神原峠が本道で、ここも今では道路改良が進みましたが、当時は
バスが来るとすれ違いさえ出来ないような九十九折りの道でした。高山より南側も、
1967年に起きた飛騨川バス転落事故の後、路線改良が進んだのです。ましてや158号線や
156号線は、国道とは名ばかりの道が続いていたものです。
これは、飛騨が山ばかりの国だということだけではなく、東西南北に出たいのに
飛騨の地形は「西南<>東北方向」に沿った断層線が発達しているため、山や河の向きが
これに影響を受けており、道が必然的にいくつもの谷や峠を超えなければならないように
なってしまうことも、見落とされがちですが大きな原因の一つです。
例えば、高山の市街地を出るとき・・・南へは宮峠を越えねばなりません。ここは江戸時代以前には
位山峠(西側)か美女峠(東側)が主要道路でした。東、西へ行く時も必ず峠を越えます。
唯一、宮川が流れていく北側は峠を越えませんが、断層のために蛇行している川の影響で
崖のような場所を通ったり、直線には進めなかったり・・・という場所の連続です。
今回のバイパスは、現41号線が川に迫る「保木」地区や、川が蛇行して、それに連れて道路も
遠回りしながらついている「三川」地区をショートカットしていくバイパスです。「保木」「三川」地区は
道路を拡幅しようとすると大規模に山を削らねばならず、結果道路の高速化が図れないままで
飛騨では珍しく、ピーク時には渋滞の発生する地域で、また冬季路面凍結も怖い場所でした。
公共土木事業や道路工事について、昨今世間の目は大変厳しいのですが、
こと飛騨においては、まだまだ多くの道路改良が必要なのです。
工事概要は、こちら。
あとは、高山-宮バイパスと宮峠トンネルが出来れば、随分違いますよね。
【岐阜】高山国道高山国府トンネル第4四半期発注へ(5/30)
国土交通省高山国道事務所は、国道41号高山国府バイパス2工区内の「高山国府トンネル高山工区」の工事を第4四半期に発注する。
高山国府バイパス2工区は高山市上切町から同市国府町金桶までの総延長約4200㍍、幅員8・5㍍の道路で、うち延長約3250㍍がトンネル。現在、国府側から掘削を行っており、今回は高山側の本坑と避難坑の掘削・築造工事を発注する。
工事概要は本坑が延長1630㍍、幅員8・5㍍。工法はNATM。避難坑が延長1612㍍、幅員4・7㍍。工法はNATM(レール方式)。施工場所は高山市上切町。
設計はトンネル本体を建設技術センター(東京都千代田区)と日本技術開発名古屋支社(名古屋市中村区)、避難坑を日本技術開発名古屋支社、設備関係をセントラルコンサルタント中部支社(名古屋市中区)がそれぞれ担当した。
同バイパスの整備によって、国道41号などの通勤時間帯の渋滞が軽減されるほか、災害時の代替えルートが少ない高山市と飛騨市間のライフラインの確保が見込まれる。1工区については供用を開始している。
(2008/5/30)建設業界ニュース
#私は仕事も実家も、土木建設業界とはまったく関係ありませ~ん(笑
2008年05月27日
早乙女の「サ」と「五月」の「サ」

早乙女・・・今は死語に近いよね。「海苔?」くらいしか思い浮かばないか。
「早乙女」の「さ」とは、稲作に関係した、日本文化の源流にある古語なんだそうです。
「さ」は稲作を擬人化した「神様」となっていて、普段は山の中(=異世界)に住み、
春、里の人に求めに応じて里に降りてきて、秋には山へ帰っていくとされています。
「早乙女(サオトメ)」は「稲を植える乙女」 「早苗(サナエ)」は「稲の苗」
「五月(サツキ)」は「稲を植える月」 というのが語源である、といわれています。
「桜(サクラ)」は「サの神様が降りてくる場所(座=「クラ」)」
「酒(サケ)」は「サの神様に捧げる飲み物(饌=「ケ」)」
これを入れるのが「杯(サカズキ)」(「カツキ」=入れ物)
「肴(サカナ)」は「サの神様の食事「菜=「ナ」)」
これを入れるのが「皿(サラ)」(「ラ」=広くて平らなもの)
それで桜の咲く時期には、桜の木の下で食べ物や飲み物を並べて神様を迎えるわけです。その時の動作が
「捧げる(ササゲル)」は「サの神様に差し上げる」
「しゃがむ(サガム)」は「サの神様を拝む」 ということらしい。
その時の状態が「幸い(サイワイ)」で「幸(サチ)」、その時に使う木が、日本中で見られる常緑樹のひとつ「榊(サカキ)」。
神様の住む場所と俗界を隔てるための標識が「柵(サク)」「境(サカイ)」「塞(ふさぐ、古語「サエ」)(塞ノ神=道祖神)」
無事に秋に神様が帰ることを「栄える(サカエル)」
神様が帰る場所を判らなくなる状態を「さ迷う(サマヨウ)」
神様が運悪く暴れてしまうことを「障る(サワル)」 などなどなど・・・
ここまで列挙すると、単なるこじ付けや言葉遊びとは違う世界の「何か」が
「サ」という言葉には込められているようです。
白川郷に初夏の訪れ、14人の早乙女が田植え
世界遺産として知られる岐阜県白川村の合掌造り集落で26日、初夏の訪れを告げる「白川郷田植え祭り」が行われた。
すげがさに赤いたすき、もんぺ姿の早乙女14人が、田植え歌に合わせて手際よく苗を植えていくと、大勢のアマチュアカメラマンが一斉にシャッターを切っていた。
昔ながらの農村を後世に伝えようと、白川郷観光協会が毎年行っている。稲刈りは9月下旬に行われる予定だ。
(2008年5月26日 読売新聞)
2008年05月25日
飛騨の天翔ける馬

今回の岐阜新聞の記事だと
よく分からない人のために・・・
昨年の読売新聞の記事から
画像を借りてきました。
高山の市街地からでも良く見える
飛騨の名峰・笠ヶ岳(2897m)。
以前は上宝村、現在は山頂を含む
山の全域が高山市に所属する、
全国でも珍しい「一自治体の中の山」
です。
晴れた日には、ぜひ一度その姿を
確認してください。
北アに「天駆ける馬」出現 初夏告げる残雪模様
飛騨地方に晴れ間が広がった23日、北アルプス笠ケ岳(2897メートル)の南西斜面に、馬の形をした残雪が姿を現し、奥飛騨に初夏の訪れを告げている。
この馬形の残雪は、住民から「天駆ける馬」と親しまれ、古くから田植えなどの農作業の目安とする習わしがある。
雪解けとともに、1週間ほど前から徐々に首や背、後ろ足が浮かび上がり、今では左右の耳をぴんと立てた姿が確認できる。
5月24日 岐阜新聞Web




